英国EU離脱(Brexit)の2019年3月の現状
2019年3月30日現在、英国のEU離脱(Brexit)は極端に混迷を深めています(今までの歴史は、本稿後半の「英国のEU離脱の歴史のまとめ」を参照ください)。
責任の所在には色々議論はありましょうが、最悪は、政府が無能に過ぎます……。 国政の通常運行時であれば、国の閣僚や政府上層部が少々無能でも、有能な官僚が頑張れば国政は回るでしょうが、前代未聞のEU離脱においては、政府のリーダーシップがないと何も進みません。
本来ならば、国民投票にかけるよりも前に、離脱支持の政治家や政党は、EU離脱の具体的な青写真を作っておいて、それを国民に提示して判断を仰ぐべきでした。 しかし、そんなものは全くありませんでした。それもあり、当時、大半の教養人は、EU離脱すると常識的に何が起こるか考えた上で、離脱に強く反対したものでした(参考: 拙稿「EU離脱を問う英国国民投票」2016-06-24)。
そして国民投票の9カ月後の今から 2年前、メイ首相が、独断でEUに英国のEU離脱を通告したことで、2年後のEU離脱が法的に(ほぼ)確定しました(これは、EU離脱を定めた“EU憲法50条の発動”を意味します)。 最大の問題は、その時でさえ、では一体具体的にどうやって離脱するかの青写真が全くできていなかったことです。それなのに、時限爆弾だけ無責任に発動させたのでした……。
当時のメイ首相の有名な言葉が、
No deal is better than a bad deal.
つまり、EUとの間で(英国に有利な条件で)交渉成立しないくらいならば「合意なき離脱」の方がましだ、でした。 もし何の合意もなくEU離脱した場合、英国は、EUとの関係において、完全な第三国になります。定義上、当然です。 (隣接する)トルコは言うに及ばず、カナダや日本でさえ、EUと様々な協定を結んでいるのに、それすら全くないことに。
例として、交易をあげます。今までは、税関もなく安全基準などの法律も同じ(EU法)で、EU特例も適用されるし、輸送も簡単だった交易が、「合意なき離脱」の場合には、突然、関税はかかるは、(EU内では免除されていた)安全審査は必要になるわ、国境通過は大変だわ、という状況になります。しょうもなく聞こえるかも知れないけど大きな問題になり得るのは、英国-EU間の輸出入のためのフォークリフト用荷運び木組み(パレット)が激しく不足すると予測されています(ガーディアン紙 2019-02-26)。EU内だと基準が緩くて許容されていたパレットながら、EU外部からの輸入では一定の規格が法的に必要とされるからです。一事が万事、そういう問題の一つ一つについて、英国とEUとの間で合意を見出していくのが離脱交渉になるわけですが……。
数字を挙げれば、英国とEUとの間の貿易額は、英国の全貿易額の4割強〜5割強になる一方、EUにとっては 8%に過ぎません(統計、つまり計算方法によっては18%)。端的には、英国の方が、経済の立場的に圧倒的弱者です。「合意なき離脱」は、経済的に英国とEUとの双方にダメージになりますが、どちらにとってより深刻かは火を見るよりも明らかです。英国にとって、「合意なき離脱」は、経済的自殺行為、と言って言い過ぎならば激しい経済的自傷行為なのは自明の理です。
メイ首相の強気の発言は、政治家のパフォーマンスとしては勇ましく響くかも知れません。実際、英国内の一部の離脱強硬派やメディアからは好意的な反応がありました(英国の主要メディアには、当初からBrexitを推進する外国資本のメディアがあります)。……が、できもしないと誰もがわかっているようなタカ派発言は、交渉において得策とは考えにくいです。道化と馬鹿にされるのがオチでしょう。実際、EUの反応を見ても、冷笑という感じだったと思います……。もしその陰で英国政府が精力的に交渉していたならばまだ分からなくはありません。しかし時折聞こえてくる英国の「Brexit大臣」の仕事ぶりは、私から見て悲惨の極致でした。明らかに、基本的なEU法さえ理解していない! EU国際政治や経済に素人の一市民の私が突っ込めて呆れるくらいだから、よほどのことです。メイ首相にしても、EU離脱について何か実質的な言葉が聞こえてきたことは、私の知る限り一度もありませんでした。そんな無能な「Brexit大臣」を任命して、かついつまでも罷免もしない段階で、首相の対応能力は推して知るべしと窺わせる程度だったと言えます。
そしてEU離脱期限が4カ月後に迫った昨年11月、メイ首相は、ようやく英国の離脱についてのEUとの合意事項を持ち帰ってきました。端的には、EU離脱は離脱するとして、当面ほとんどは現状維持として、他のほぼ全てのことは、締切を2年間先延ばしして今後交渉するという合意です。英国は、EU法の遵守義務やEUへの分担金も含めて何も変わりません。ただし、離脱して外部組織になる以上、EU内での発言権は当然失うので、今後、EU法に影響を与えることはできません。この合意は、対EUの交渉がいかに進んでいなかったかの証と言ってもいいと思います。
(注: 合意の詳細は、日本語記事としては例えば『「英国議会内の合意」なき離脱』(鈴木一人, 2019-03-29)に詳しい。)
自政権の閣僚の多くにさえ土壇場まで知らされていなかった(らしい)その合意の内容は、一部の閣僚の辞任を招き、自党内や連立政党も含めて議会で猛反発を受け、下院(庶民院)の三回(!)の議決でいずれも否決されました。議院内閣制において政府提案法案が議会で否決されるのは、かなりの異常事態です。中でも第一回目の議決は、政府提案法案として、英国の近代議会の歴史上最悪の大差で否決されたこともあり、大きなニュースになりました。
そうして膠着状態のまま、時間だけ過ぎていっています。本来のEU離脱日は3/29だったところ、先日、EUから、4/12 まで延長してもらう了承を得てはいます。それにしても 3/30現在、時間がありません!
ここで時期的な背景として重要な鍵になるのは、次のEU議会議員選挙が 5/23〜26に実施されることです。 EUとしては、その選挙の直前直後に英国EU離脱が重なってくるのは避けたい強い意思があります。 一方、メイ首相は、英国は(どうせすぐ後にEU離脱するのだから)次のEU議会選挙には参加したくない、と主張しています。
3月にメイ首相がEUに対して、離脱日の2〜3カ月の延期を申し入れた時、EUが認めたのは 4/12 まで、つまりわずか2週間だった理由がそこにあります。 5/23 よりもずっと前かずっと後か、のいずれか、がEUの主張でした。もし後者ならば、英国は、当然、EU議会議員選挙に参加しなければなりません。 メイ首相が後者には難色を示したため、延期は(本来の期限のわずか2週間後の) 4/12 と決まりました。本来の期限を延期してもらうのは英国側の都合ですから、当然、英国の方が立場が弱くなります。
なおつけ加えれば、EU諸国は、英国側のあまりに遅い、かつ独善的な対応に、堪忍袋の緒が切れかかっている様子が推察されます。少なくとも、EUのスポークスマンの言動にはそれがにじみ出ていると感じます。英国離脱がどのような形で行われるのか分からないのは、EU諸国側も同じです。必然的に各国とも、英国の「合意なき離脱」が行われる可能性を考慮して、相応の準備が必要とされていて、実際、各国それなりに対応を進めているそうです(と、少なくともEUは言っている)。EU諸国としては、どうなるにせよ、グズグズせずに早く白黒つけてほしい、という願うのは自然でしょう。EUを苛立たせることで、対EUとの交渉において、英国の立場は益々悪くなっている様子です……。
今後どうなるのでしょうか?
以下に引用する BBC報道の図がわかりやすいです。

この図を簡単にまとめると、以下の感じです。
- 今後、早急に議会により、改定案の審議、議決
- もし何らかの議題が可決され、かつメイ首相が認めれば、
- 合意事項を EUに持って行って、再交渉。
- EU離脱日の再延長もあり得るか? (当座の期限は、4/12)
- もし議会で何もまとまらないか、あるいはまとまってもメイ首相が受け容れなければ、
- 4/12までに、EU離脱を取り止める(!?)
- 4/12 に英国の「合意なき離脱」
- EUが同意すれば、4/12よりさらに後へ離脱日をずらしてもらえるかも?
- ほぼ必然的に、5月のEU議会選挙に、英国も参加
- 今後の見通しは全く不透明
現在、英国の行方はこれ以上ないくらい非常に不透明です。
ちなみに、世論調査によると、2019年3月現在、英国市民の 45% が英国のEU離脱を支持しているそうです。 3年近く前の国民投票の時とは若干変わって、EU残留派が過半数、ということではありますか(ただし、世論調査の結果は数%くらいはすぐ動くし、実際、国民投票直前まで残留派が有利と伝えられていた事実があります)。 とは言え、結局、国民の約半数が英国のEU離脱支持である状況に大きな変化はありません。
そういう意味で、仮に議会あるいは政府の判断でEU離脱を取り止めることになったとしても、
- 民主主義による国民投票の結果が蔑ろにされる
- 国民の間の分断は残ったままになる。むしろ悪化するかも……
という深刻な懸案があります。
与党保守党はもとより最大野党の労働党も、EU離脱を取り止める、と一度も口にしたことがない理由がそこにあると理解しています。 ちなみに、労働党は、国民投票前の公式の立場は、EU残留支持でした。しかし、労働党地盤の選挙区の相当数が、国民投票においてEU離脱に投票した現実もあるので、難しい立場にあります。
そういう意味で、与党も最大野党も、EU離脱すること自体は概ね一致しています。ただし、一言で離脱と言っても、その具体的な内容には天と地の開きがあります。与党最右翼が求める強硬離脱(「合意なき離脱」)から、労働党の公式方針(EU離脱するものの、事実上失うのは、EU内での役割と議席つまりプレゼンス程度)まで。だからこそ、これだけ紛糾しているわけです。
どう転んでも、少なくとも今後、今までより悪くなることだけは確定的でしょう。かすかな希望があるとすれば、今後の英国の没落の後、英国民が国内国外ともう少し宥和して、偏狭なナショナリズムにさよならして、国として少し大人になれば、と言うところでしょうか。雨降って地固まる、と言いますね。保守党が政権を握っている限りは望みありませんが……。
英国のEU離脱の歴史のまとめ
参考までに、今までの英国のEU離脱の歴史を箇条書きでまとめておきます。
- 2015年前半: 下院総選挙の選挙公約として、保守党が、EU離脱を国民に問うことを挙げる
- 端的には、保守党内部の最右派からの圧力に、党首キャメロン(首相)が折れた形
- 言葉を変えれば、保守党内部の最右派を黙らせるために、キャメロン党首が受け容れた
- 当時、英国内では、EU離脱のみ(!)を党是にする極右のUK独立党(UKIP)が勢力を拡大中だった。
- 2015/05/07 下院総選挙 → 与党保守党の大勝
- ちなみに、UK独立党(UKIP)の得票率は 12.6% (ただし、小選挙区制のために、獲得議席は1議席)
- なお、より公平なEU議員選挙では、UK独立党(UKIP)は相応の議席を獲得している。
- キャメロン政権がEU離脱を問う国民投票を実施することを決定、議会で承認を得る
- 2016/06/23 (3年足らず前) EU離脱への賛否を問う国民投票実施 → 離脱支持の結果 (51.9:48.1)
- 国民投票の結果が出た直後、キャメロン首相が辞任
- キャメロン自身は、EU残留派だった
- 保守党の党首選でメイが党首として選ばれ、首相に就任
- なお、メイも、自身は国民投票前はEU残留派。
- ただし、首相就任後は、EU離脱を既定方針として舵を取る。
- 2017/03/29 (2年前) メイ首相が、EUに英国の離脱を通告
- 通告は、首相権限としての行政判断。すなわち、英国議会は通さず、寝耳に水のニュース
- EU憲法50条にしたがって、その日から 2年後に英国がEU離脱することが(一応)確定
- 2年後とは、2019年3月29日
- 「一応確定」とは、EU法としては、通告を取り消すことが不可能ではない「様子」だから。
- EU憲法50条は今までに一度も発効したことがない、つまり前例がない。 したがって、その解釈も不透明な部分がある、ということでしょう。
- 2017/06/08 (2年足らず前) メイ首相が、議会解散して、下院総選挙を実行
- 英国では、議会解散は稀なので例外的。通常は、ほぼ満期まで議会を開催する
- メイ首相は、この総選挙で、下院での保守党のリードを拡げて、EU離脱主導を確固としたい意図があった様子
- 結果、保守党は、議会第一党こそ守るものの13議席失い、過半数を割る。
- 北アイルランド地盤の(10議席の)DUP党と連立政権を組み、メイ首相が再任。
- 極右UK独立党(UKIP)は議席を失うと共に得票率的に惨敗(2%を切る)
- 2018年11月 (メイ内閣とEUとの間で、EU離脱について合意に達する)
- この合意では、英国のEU離脱は予定通り3/29ながら、完全離脱を2020年12月に設定し、それまでは細則を交渉する移行期間とする
- 離脱日の3/29からそれまでの間は、英国は当座、EUの主張を全て受け容れる(EU法に従い、当然、EU内の移動の自由も受け容れ、分担金を支払う)代わりに、EU単一市場に留まる。 なお、英国は EUから離脱はするため、それ以降、EU議会の議席は失い、EU法に対して口出しはできなくなる
- この合意が満たされるためには、英国議会(下院)の承認が条件。
- 参考: https://www.theguardian.com/politics/2018/nov/14/theresa-mays-brexit-deal-everything-you-need-to-know
- なお、当時の英国民に対する政府広報に拠れば、今後(2021年から?)は、「EUの単一市場にとどまります。EU内の移動の自由がなくなり、英国への移民が制限されます(よかったね!)」と書かれていたと記憶している。EU的にはその両立だけは決してあり得ないはずなので、英国政府は何と明白な嘘をつくのか、と呆れたものでした。
- なお、デフォルト、すなわち英国議会の承認が得られず代案もなければ、「合意なき離脱」になる。
- 「合意なき離脱」では、英国がEU離脱したその日に、英国のEU内での今までの全ての権利を失い、大混乱必定。
- 端的には、英国の総貿易額の3割を占めるEUとの交易に関税がかかり、EU内の英国市民、英国内のEU市民が突然外国人になる(最悪、国外退去を命ぜられることになる。数で言えば、数百万人)。
- 2019/01/15 (メイ内閣とEUとの間のEU離脱合意事項に関する最初の下院議決)
- メイ内閣のEUとの合意条件は、議会のみならず自党からも激しい反発にあう。閣僚数人が辞任。
- メイ首相は、EUとの合意事項について、合意締結の日まで、党内はもちろん、側近を除いて閣僚にも話していなかったらしい
- 本来、EUとの合意がまとまった後、可及的速やかに議会に計るべきところながら、メイ首相はそれを(特に理由なく)延期
- 1/15に下院で議決があり、政府提出法案としては、英国の近代議会の歴史上最悪の大差で否決される
- 野党はもとより、保守党内の離脱強硬派(端的には「合意なき離脱」を求める勢力)、連立を組むDUP党から反対された
- メイ内閣のEUとの合意条件は、議会のみならず自党からも激しい反発にあう。閣僚数人が辞任。
- 2019/03/12 (メイ内閣とEUとの間のEU離脱合意事項に関する二度目の下院議決)
- メイ首相がEUとの合意条件への賛同を議会に求めるも、再度否決される
- 下院のジョン・バーコウ議長が、英国議会の(慣習)法に則り、議決内容に十分な変更がない限り、議会での再度の議決はない、と宣言
- 同じ議題に対して何度も議決するのは議会の時間の無駄、という常識的なきまり
- (この頃までには)実際の英国のEU離脱の日は、元々の 3/29から延期され、4/12 に再設定された
- 2019年3月中旬 (議会への請願とBrexitへ反対する大規模デモ)
- 英国議会のウェブサイトには、議会で審議することを請願する(ネット上の)機構がある。10万筆集まれば、議会での審議が検討されることになっている。そこで、Brexitの取消しを求めて、同システムが始まってから史上最大の 500万人が署名する請願があった。
- → 国民投票の結果が尊重されなければならない、という公式回答で決着
- ロンドンにて、市民デモとしては英国史上2番目の規模の 120万人ともされる市民が街頭に繰り出した。
[編集(2019-04-01): 数は筆者が聞いた中での最大値。実際は多くてその半分程度だった様子(ソース: Wired.co.uk)。とは言え、史上2番目、悪くても3番目の規模だったことは違いない(ソース: The Guardian紙のまとめた表)。]
- 英国議会のウェブサイトには、議会で審議することを請願する(ネット上の)機構がある。10万筆集まれば、議会での審議が検討されることになっている。そこで、Brexitの取消しを求めて、同システムが始まってから史上最大の 500万人が署名する請願があった。
- 2019/03/27 (議会でEU離脱に対する8つの代替案が審議・議決される)
- 強制力はなし、とされる
- なお、そもそもの(EU離脱を問う)国民投票自体、法的な強制力はない、とされている
- とは言え、国民投票の結果は尊重しなければならない、というのが、与党保守党と最大野党労働党とで共通した一貫した主張
- 同じ論理で、法的強制力はなくても、議会で過半数を取ったならば、その議決は当然尊重されることが期待される
- いずれも過半数を得ることなく、否決。
- 最も僅差だったのは、EU単一市場に留まることを確約する議案
- 二番目に僅差だったのは、国民投票をやり直す議案
- 合意の詳細は、例えば『「英国議会内の合意」なき離脱』(鈴木一人, 2019-03-29)参照。
- 強制力はなし、とされる
- 2019/03/29 (本来のEU離脱の日; ただし、4/12 にすでに延期されている)
- この頃までに、保守党内の離脱強硬派の大物数人がメイ首相の合意案について賛成に転ずると表明
- メイ首相がEUとの合意条件への賛同を三度目の正直として議会に求めるも、またも否決される
Masa Sakano
2019-03-30