- 「2009年7月トムラウシ大量遭難事故」 (2009/09)
「2009年7月トムラウシ大量遭難事故」
(2009/09)
(※初出: メルマガ第 93号)
2009年7月中旬、トムラウシにて、死者10人を数える夏山の遭難事故としては 最大規模の悲劇が起こりました。そのうち 8人は、旭岳方面からトムラウシへ 縦走、下山するガイド付ツアー(ガイド 3人、登山客15人)の参加者でした。 犠牲者の多さ、そしてガイドツアーであったことなどの理由からでしょう、 その件が最も詳細に報告されています。実は僕自身もほぼ同じルートを 事件の 2週間前に辿ったばかりだったこともあり、人ごととは思えません。 また自分で行った経験があるだけに、ルートの一般的な状況はよく分かります。 以下、同ガイドツアーの事故から学べることを考察します。
(ごくごく単純化した)事件経過
- 7/14 旭岳温泉発、白雲岳避難小屋泊。翌日、雨天で濡れる。ヒサゴ沼避難小屋泊。
- 7/16 悪天の中、トムラウシ山向けて出発するも天候がさらに悪化し、暴風雨に。
- トムラウシ登頂は諦めて、山頂を迂回して下山しようとする。 しかし、それでも悪天に体力を消耗し、歩けなくなる人が続出、 7人はトムラウシ山頂の前後でビバーク(出発後、6時間経過)。 結果的にうち 4人が死亡。
- ガイド一人と残りの登山客は下山続行。結果的にうち 4人が死亡。
- ガイドからの110番通報(出発後、10時間経過)を受け、 警察および自衛隊による救助活動開始。
原因と考察
主原因
色々な情報ソースを調べる限り、 ガイドの天候の読みが外れたのが、直接的には最大の原因だった 様子だ。当時、台風が迫っていたのは分かっていたことだから、 急変というよりは、予期できる可能性の中で相当に悪い目が 出た、ということなのだろう……たぶん(その偶然(?)が 実際にどれほどの「偶然」なのかは僕には判断できない)。
同コースのヒサゴ沼避難小屋は孤立しているため、 エスケープは困難。 パーティーの元々予定は、もちろんトムラウシ登頂して
南方に下山するものだったが、実は、時間的に見ても、 ヒサゴ沼避難小屋からの下山ルートとしてこれは悪い選択ではない
(山頂を迂回するならば)。東あるいは西への別のルートを辿ることも できるが、行程時間はいずれも大差ないので、明快にそちらがいい
と言い切るのは難しい程度の違いである (参考: Sub
Eight
に、詳細比較の論説がある)。 特に、悪天の中、ガイドもおそらく経験ないだろう、そういった
マイナーなルート選択がいいかどうかは甚だ微妙であろう。 従って、同ツアーが最終日に取ったルート選択は、悪く言っても
間違いとまでは言えない、という程度だと考えられる。
ただし、その日(=最終日)にそもそも小屋を出立すべきだったかどうかは別問題である。 また、避難小屋の数が限られる同地では、何かあった時には困ったことに なるのははなから分かっていたことなので、出発が正しい選択だったか どうか、予備日の無い日程に無理がなかったかどうか、というのは 議論あるところだろう。
実際、最終日の朝の段階でもう一日分の食糧は無かった、という報道を信じれば、 悪天をおしてでも敢えて出発する動機の一つにはなっていたことに違いない。 後出しじゃんけんとしては、つまり結果論としては、 一日や二日食料なしでも人間は大丈夫なので、小屋に停滞するべきだった、 ということになろう。しかし、当時の現場としてそれが容易ならざる 決断だったであろうことは想像に難くなく、結果論からしか見ることの できない第三者としての僕には、当時の現場の決断を批判はできない。
なお、ガイドやツアー会社の方としては、せっかく北海道くんだりまで来られた 以上、是非、山頂までご案内したい、という気持ちはあるだろう。 良心からというより、ビジネスの成功と将来のために。 中止や引返した後に天候が回復なんかしたら、文句言われかねないし、 よくても客にその山旅のいい印象や思い出は残らないだろうから。 また、ガイド登山である以上、一旦入山すれば、仮に登山客の 一人に健康上や体力上の問題があることが判明しても、一人だけ 下山させるのも困難なので、難しい側面もあろう。 ただ、それらが今回の事件の原因にどれほどの影響を与えたか、 あるいは与えなかったかは、僕には判断しかねる。 僕に言えるのは、一般論としてそういう可能性はあり得るので、 ツアー会社やガイドは厳に自らを戒めましょう、という一般的な 話までである。
救助要請連絡
さて、被害がこれだけ拡大したのは、救助要請の連絡が遅れたことが 大きく影響しているのは間違いなさそうだ。歩けなくなった人が出てから 救助要請まで 4時間かかっている。(歩けなくなった人が)低体温症に かかっていたこと、低体温症から回復させられる装備を持ち合わせて なかったこと、ビバークの地(北沼付近)から下山口までは 普通に歩いても何時間もかかる距離であり、しかも当時は暴風雨の 悪天下ですでに体力消耗しきった人の自力下山は絶望的だったこと、 を考え合わせると、ビバークを決定した段階で救助を要請しなくては ならなかった。
ビバーク
同事故で登山者が体力を消耗したのは、ひとつには、 前日の行動中に既に雨に濡れ、おまけにヒサゴ沼避難小屋で (持参の)寝袋がずぶ濡れだった(と報道に聞く)こと、つまり 十分に疲労回復できなかったこと、が一因だと容易に推測できる。 泊りがけの山行の鉄則は、寝袋は絶対に濡らさないことである。 そういう意味で、各自の装備、つまり寝袋を濡らさないための 備えが不十分だった。ガイドが事前にどれほどちゃんとチェック したか、疑問が残る。
報道によれば、グループの一部がビバークした時には、 テントを使ったが、そのテントは、現地でたまたま発見した ものだった(登山道整備業者が従業員の宿泊に備えて山中に保管していた!)と いうことだ。山中でテントを見つけるとはすばらしい僥倖だ。 もしそれが無ければ、犠牲はさらに拡大していたに違いない……。 逆に言えば、グループは十分な数のテントもツェルトも 持っていなかったということらしい。ツェルトは非常時には 生死を分ける。全員を収容できる数のツェルトは登山の必須装備 だと思う — この場合は、もちろんそれはガイドの義務だ。
なお、大雪山の場合は、山小屋(避難小屋)がいっぱいで満足に泊まれない ことも少なくないため、仮に山小屋泊りを予定している場合でも、 テントを持参することが強く薦められている。実際、当地の 山小屋でそういう貼り紙を見かけた(もっとも、テントを 持参するならば、小屋に泊まるメリットが随分と薄れてしまうが)。 それを考えると、18人のグループならば、テントの一つ二つは 持参すべきだったかも知れない。
為すべきことを為すべき時に為す
同グループで自力下山して生還した一人は、雨の中、着替えは おそろしく億劫でかつ着替える間に濡れてしまうことを承知の上で、 リュックサックを開けてフリースを一枚着た結果、体の冷えが ましになり、それが生死を分けたと思う、という旨のことを証言している。 たしか羽根田治氏の本だったと思うが(『生還—山岳遭難からの救出』だったか?)、 ある冬山の事例で、一人だけ生き残った人と死んだ他の人との違いは服装、 つまり生還した人の方が暖かい服だったという。また、山で凍死した人の 少なからずが、リュックサックの中に予備の服がありながらそれを 着ることなく死に至っている、とも聞く。 服の違いは、大きい。
また、(その生還した人が)億劫なことを面倒くさがらずにちゃんとこなした、 というのも含蓄がある。(天候などの)状況が悪ければ悪いほど、 何か(おそらくは必要な)ことをするのが、億劫になるのは当然のこと、 しかし、状況が悪いだけに、それをするかどうかで決定的な違いが出てくる ことがままある。
たとえば、悪天下でこそ地図とコンパスとを頻繁に見るべきである。 億劫だが……。なぜなら、道に迷うのは大抵は悪天下であり、 また悪天下でこそ、道迷いの結果も重大なものになりかねない。 あるいは、夏山の幕営で晴れた晩にトイレに起きるのは 大したことないのに対し、氷点下の冬山で吹雪の中だと話は全然変わってくる。 しかし、氷点下の冬山こそ、十分な睡眠を取り水分も取る(→トイレが近くなる)こと が重要なので、億劫でも為すべきことは為さねばならない。 それも早ければ早いほどいい。 逡巡するのは、後回しにするだけで時間が無駄なだけだから。
ガイドとツアー一般へのコメント
報道によれば、ガイドの一人も亡くなられたと聞く。 そこまで頑張った、という意味では、見上げたプロ魂だと敬意を 表する一方で、(結果論であるものの)山行ガイドの技術経験に 難があったとは言わざるを得まい。
登山客としては、ツアー会社は選べても、ガイドやましてや (公募の登山ツアーでは)同行の登山客はなかなか選べない。 仮に選べたとしてさえ、ガイドの登山のプロとしての資質を (たとえば書面だけで)見分けるのはできてもごく困難(それが できるくらいならば、はなからガイドなどほぼ不要!)、 もしくは不可能に近かろう。 結局、ある程度、自己防衛するしかないのだろうと恐れる — たとえば 推奨装備以上のものを持っていくとか。とはいえ、登山中は、 ガイドの指示には従わざるを得ないので、限界がすぐあるわけだが……。
教訓
以上の考察を基に、以下に生産的な教訓を箇条書きする。
- 「最悪のケース」を予想して、事前にシミュレートしておく。
- 泊りがけの山行ならば、予備日を設定しておく。
- 携帯電話の電波状況が不明ならアマチュア無線機を持参する(もちろん 資格を持っているという条件付で)。
- 寝袋は絶対に濡らさない。シュラフカバーは好便。
- ツェルトを人数分、持参する。
- 風雨に対する備えは十分に。特に頭部。防水手袋も。
- 暖かい服を一枚は持っていく。
- 予備の食料を持参。
- 調子が悪くなったら、早めに仲間にその旨伝える。
- 最後の砦は自らの体力。訓練を怠らずに。
- 条件が悪い時こそ、億劫がらずに為すべきことを為す。
- 中止すること、引返すこと、救助要請に躊躇しない。
参考文書
Sub Eight
- http://subeight.wordpress.com/2009/07/18/tomuraushi-2/
- おそらく、同遭難事故に関する最も詳細なウェブサイト。
Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/トムラウシ山遭難事故
この文書について
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まさ