- 総括
- 登山編
- 07/18 (移動)
- 07/19 (シャモニー谷ウォーキング1)
- 07/20 (講習第一日目; Grands Montets)
- 07/21 (講習第二日目; クレバス救助)
- 07/22 (講習第三日目; Aiguille du Tour)
- 07/23 (待機)
- 07/24 (雪上訓練)
- 07/25 (Mer de Glass)
- 07/26 (Aiguille du Midi)
- 07/27 (Petite Aiguille Verte)
- 07/28 (Mont-Blanc du Tacul)
- 07/29 (L'Index)
- 07/30 (シャモニー谷ウォーキング2)
- 07/31 (Montenvers)
- 08/01 (Vallorcine)
- 08/02 (移動)
- 生活編
- 登山技術議論編
- 情報編
- タイム・テーブル
総括
- 山域
- France/Chamonix/Alps (Western)
- 参加者
- まさ、ドム(07/23--07/30)
- 期間
- 2005/07/18 -- 2005/08/02 (15泊16日)
- 07/18 Leicester ... (汽車、バス) ... London City Airport ... (空路) ... Geneva ... (バス) ... Chamonix ... (電車) ... Argentière ... Les Chosalets (天場; 以下、別記しない限り幕営)
- 07/19 天場 ... Chamonix ... (バス) ... 天場
- 07/20 天場 ... (ロープウェイ) ... Grands Montets駅 ... 北東陵 ... Aiguille des Grands Montets ... 天場
- 07/21 天場 ... (バス) ... Le Tour ... (ロープウェイ) ... Charamillon-Balme駅 ... Refuge d'Albert 1er (泊)
- 07/22 Refuge ... Aiguille du Tour ... Refuge ... Charamillon-Balme駅 ... (ロープウェイ) ... Le Tour ... 天場
- 07/23 ドムを Chamonix で迎える
- 07/24 天場 ... (ロープウェイ) ... Grands Montets駅 (雪上訓練) ... (ロープウェイ) ... 天場
- 07/25 天場 ... (バス) ... Chamonix ... (登山電車) ... Montenvers駅 ... Mer de Glass ... Refuge du Requin (泊)
- 07/26 Refuge ... Glacier du Géant ... Aiguille du Midi ... (ロープウェイ) ... Chamonix ... 天場
- 07/27 天場 ... (ロープウェイ) ... Grands Montets駅 ... 西稜線 ... Petite Aiguille Verte ... 北稜線懸垂下降 ... Grands Montets駅 ... (ロープウェイ) ... 天場
- 07/28 天場 ... (タクシー) ... Chamonix ... (ロープウェイ) ... Aiguille du Midi ... Col du Midi ... Mont-Blanc du Tacul ... 往路帰る
- 07/29 天場 ... Les Praz/Flégère ... (ロープウェイ) ... L'Index駅 ... L'Index 南東稜線 ... L'Index山頂 ... L'Index駅 ... (ロープウェイ) ... 天場
- 07/30 天場 ... Montroc ... Argentière ... 天場 (ドム帰る)
- 07/31 天場 ... (バス) ... Les Boits ... Montenvers ... Mer de Glace (入口) ... Chamonix ... 天場
- 08/01 天場 ... Argentière ... (電車) ... Le Buet駅 ... Vallorcine岩場 ... 往路帰る
- 08/02 Leicester へ帰る (07/18 の逆)
- 宿泊
- 幕営 (@Les Chosalets), Albert 1er 小屋 (7/21), Requin 小屋 (7/25)
- 天候
-
- 07/18 雨 (@Chamonix)
- 07/19 曇後晴
- 07/20 晴
- 07/21 晴
- 07/22 晴
- 07/23 晴後曇
- 07/24 雨後曇
- 07/25 曇後一時雨
- 07/26 曇後晴
- 07/27 快晴
- 07/28 晴
- 07/29 晴後雨
- 07/30 晴時々曇一時雨
- 07/31 曇一時晴
- 08/01 晴後曇後一時雨
- 08/02 雨 (@Chamonix)
登山編
アルプスに来る。
この 4年間、ずっと来たかったのに、毎年、なんだかんだと邪魔が入って来れな かった。でも、今年、ついに、来ることができた。アルプスの代名詞、Chamonix シャモニーへ。今回は、英国登山協会(BMC)主催の Jonathan Conville Course (3日間の現地講習会)に参加し、その後、合流する友人ドムと共に、アルパイン クライミングだ。この時のために、有給も残しておいた。期待に胸を膨らませて のシャモニー入りとなった。
結果、本当に素晴らしい山行となった。最高の経験だった。非常に好運なことに、 講習会の時も含めて、ずっと天候がよく、移動の日とドムを迎えた日を除いた 13日間、すべて、何らかの形で山に入ることができた。
講習会は、本当に有益だった。高度対応、コンテやクレバス救助他ロープワーク、 小屋での過ごし方、天候の見方、装備などなど、きりがないくらいたくさん教わっ た。アルプスは、僕が今まで過ごした日本の雪深い冬山・春山とは全然異なって、 ずっと氷の世界だった。生まれて初めて見る氷河はもちろん、普通の斜面も雪の 薄い層の下にはすぐに氷が待っている。そして、そそり立つ針峰の数々、美しい 日の出、幻想的な氷河の世界、雪の下に隠れているクレバス、すべて新鮮で忘れ られない体験となった。
ドムは、以前、湖水地方の冬山 で少しだけ一緒したことがあるが、クライミングはともかく、冬山の基本はなっ てない、と感じた。だから、今回は、まず雪上訓練から入った。彼の吸収してい くさま、ピッケルやロープの扱いの上達ぶりは、見事だった。情熱と若さとの賜 物か。
また来年、訪れたい。真剣にそんな気分にさせられた素晴らしい夏の山行だった。
07/18 (シャモニー谷到着)
9時過ぎ、レスターを発って、ロンドン・シティ空港へ。ロンドンでは、 1週間前の爆弾事件の影響で、未だに動いていない地下鉄路線はあるが、 特に問題なく、空港着。ジュネーブに飛んで、バスをつかまえ、一路 シャモニーへ。シャモニーから終電の電車でアルジェンティエール(Argentière)へ。
シャモニーからこちら、外は雨。しばらく駅で雨宿りするも止む気配無し……。 そのうち駅の電気も消える。あきらめてレ・ショザレ(Les Chosalets)のキャン プ場まで歩く。35kg を超えているだろう荷物を背負って雨の中 1km の道は楽し くはないが……。雨の中、テントを張って、すぐにもぐり込む。このテントを使 うのは 3年ぶり、昨日、試験設営してみたおかげでスムーズにいってよかったっ てものだ。シュラフの中にもぐり込む頃には、外では雷が鳴り出していた。
07/19 (シャモニー谷ウォーキング1)
昨日の雨は止んでいる。今日は特にやることはないので、シャモニーまで、シャ モニー谷を歩いてみることに。6km ほどの道のりのはず。
幹線道から入って、途中、川沿いのウォーキングのコースに抜けたりしてゆっく り歩いていく。左手に見えるレ・ドリュの尖峰がすばらしい。さすがアルプス!
シャモニーで所用を済ませ、早めに寝る。
07/20 (講習第一日目; Grands Montets)
今日は、講習第一日目。インストラクター一人につき、三人の受講者。インスト ラクターの二人、スティーブとクリスは、(北ウェールズの) Plas Y Brenin か ら来ていて、あとの一人デイブは、シャモニー在住(仏語アクセントの英語を喋 る)のガイドだという。受講者 9人はきっちり全員揃った --- 時計(の時差: 英 国との時差 1時間)を合わせ忘れたというジョンが遅れそうになったのはご愛敬。
保険と用具(特にクランポン)の確認後、歩いてケーブルカーの駅へ --- ヤッケ ごと財布を集合場所に忘れてしまったのに気づいて、焦って取りに帰った慌て者 は僕……。
ほどなくグラン・モンテ(Grands Montets)駅へ到着。高度約3260m。さすがに冷 える。僕は、アレックスとジェレミーと共にスティーブ先生につく。駅から降り たらすぐ雪面だ。ピッケルの安全紐を外すよう、指示される。
まずは、ステップカットから。古の基本技術とは聞いていても、実は僕はちゃん と学習したことはない。日本では、ほとんど常に軟雪ばっかりだったから、機会 もなかった。ついで、堅雪上(ほとんど氷り気味)の滑落停止。今まで軟雪上で ばかりやっていた僕にとって、堅雪上だと、本当に難しい……。
ここで、クランポン装着。ちょっとした歩行練習の後、堅雪上の確保を。斜面に アイス・スクリューを直接打ち込むのを見て、驚いた。そう、ここでは、雪を少 しかきわけると、すぐ氷の面が顔を出すので、スクリューが最適の確保なのだ。 続いて、Abarakov thread (アバラコフ・スレッド; アイス・スレッド)の実演、 さらに一人一人がアイス・ボラードを作る練習。アイス・ボラードをまっとうに 作るのは本当に骨が折れることがよくわかった。下手すると、すぐ氷が剥離して いくし……。最後、雪面でピッケルを横に埋める支点の作り方 --- 自分で実際 に行うのは、初めて。細かいポイントまで教えてくれるのが実に嬉しい。
昼食休憩後は、ロープの出番。数え方から、氷河上歩行用のコンテ(move together)のセット。そして、実際に、ルート(エギーユ・デ・グラン・モンテ 北東稜)へと乗り出す。最初は、軟雪面だったが、 たが、すぐに堅雪へ、そして岩のルートへと移る。途中、フレンズが落ちている のを発見、リードのスティーブ、ラッキーと以降、それをかなり使うことになっ た。というのも……、岩のルートから再び堅雪、それも半ば氷化した堅雪上へ移 動することになったからだ。本来、Facile のルートのはずだが、現在のコンディ ションでは、これは、PD (Peu Difficile) になるという。
スティーブが確保する中、2番手の僕がスティーブの場所にたどりついて、ステッ プを切るよう、指示される。堅い雪面、いや、氷面。泥が混ざっている色の関係 で僕は一見、土だという気がしていたのだが、実は堅い氷だった。そしてカット の最中、バランスを崩してしまって、あろうことか落ちてしまった……。あ ちゃぁ。
そのすぐ上は、堅雪上のトラバース。薄い雪のすぐ下は氷化している。ここでま たもや、僕は落ちてしまった……。滑落停止もスピードは緩めても、止まるまで はいかない。確保されていてよかったってもんだ。薄い雪を頼りにフラット・ポ インティングで登っていたのが間違いだった。すぐ下が氷化層だから、フロント・ ポインティングで登らなくてはいけなかった。なるほど、これがアルプスか……。 軟雪の経験がほとんどの僕にとっては、これは意外な未知の世界だった。
といったハプニングはあれど、ほどなく、ルート終了。エギーユ・デ・グラン・ モンテ(Aiguille des Grands Montets)山頂(3297m)に着く(山頂駅の展望台になっ ている)。ふぅ。
スティーブのキャリアの中で、2番目に怖い思いをしたよ、ってコメントだった。 いや、先生、びびらせてしまって誠に申し訳ない……。ただ、僕としては、確保 されている時に「落ちる」経験ができて、これは非常に貴重だった。いずれも、 落ちるとは思っていなかったところだった。つまり、ああいうバランスの時は、 落ちる危険がある、ということだ。
スティーブのコンテは、僕が知っているコンテとはまた少し違って、それもまた 有益な経験であった。学ぶことがたくさんあるぅ!!
07/21 (講習第二日目; クレバス救助)
講習第二日目。Le Tour まで行って、ロープウェイ、リフトで、上の駅へ。そこ から歩いてアルベルト・プルミエ小屋(Albert 1er; 2702m)に行く。一面のお花畑の中を 歩く気持ちいい道だ。途中、地図で「点線」の部分、つまりハイキングにしては 「危ない」箇所を通過するが……、何のことはない、鉄の手すりなどがあって、安全 このうえない。モレーンを右に見ながら、最後の登りの後、小屋に到着。今日は ずっと半袖で十分だった(上半身裸で登っている人もいた)。
一休みした後、明日の道筋の偵察も兼ねて(早朝、暗い中出発する 時、道を誤らないよう前日の明るいうちに偵察しておくのが常識だそうな)、 氷河上へと、出発する。ほどなく氷河に着いて、今日は真剣な 氷河上歩行(昨日は氷河らしい氷河とは言えなかったから)。 そして、クレバス救助の練習を。やはり、現場でやるのは、 違う。自分が行う時、ちょっと緊張して、手順をすっ飛ばしたりしてし まった……。前に練習したのに……。うー、情けない。
小屋に戻って、しばらくして夕食、即就寝。この小屋は、かなりメジャーな小屋 で人が少なくない。そういう時の小屋生活のコツなども色々聞かせてもらった。
- ピッケル、クランポンは部屋に持ち込まない。
- 靴は、相棒と片方ずつ互い違いに一カ所に置いておくといい --- 翌朝、 暗い中で靴の取り違えが発生しないように。
- 寝る場所は、早めに(明るいうちに)確保しておいた方がいい。
- 前夜に基本的に装備は全て整えておく。朝、できるだけスムーズに発てる ように。
- とにかく水をたくさん飲む。高山病対策のためにも。それが、持ち運ぶ水 の量を減らす秘訣でもある。
- 枕元にも水筒を持ち込んでおく。当然、ヘッドランプも。
- 小屋に着いた時、もしくは寝る前に、高度計を正しい値にセット。翌朝、 高度計の高度が上がっているようならば、気圧が下がっている --- あま り嬉しくない兆し。
- シュラフ・インナーを持ち込むのは(贅沢だが)ひとつの考え方。
- 朝、寝床を出る前に、毛布はたたんでおく。
07/22 (講習第三日目; Aiguille du Tour)
今日が講習のハイライト、エギーユ・デュ・ツール (Aiguille du Tour) の山頂 を目指す。
午前 4時起床。すぐ朝食を摂る……はずが、あろうことか、寝過ごしてしまった。 気づくと、部屋に誰もいない。昨晩、トイレにばかり立って、眠れなかったか ら……。速攻で朝食に立つ廊下の上で、スティーブに会って、できるだけ早く済 ませるよう、言われる。かきこんで、手早く用意を済ませて、昨日のメンバーで まだ暗い中、小屋を発つ。04:50。
氷河の上に降り立つ頃には、明るくなっていた。クランポン装着、ザイルを結び 合って、氷河上へ。途中、一回の休憩をはさんで、Col du Tour のコル(3282m)まで 登り、稜線の反対側へ出る。ここはスイス領だそうな。パスポート検問は無かった。 Aiguille du Tour の岩稜を目前にして、クランポンを外して、デポ。ここで、 スティーブは、ザイルから離脱。アレックスとジェレミーと 3人で コンテで(スティーブの指示を受けながら)山頂へ。英国のスクランブリングの グレード 1 から 2 というところか。
楽しく岩登りして、山頂(3544m)へ到達。07:45。晴れ渡った空の中、見晴らしが素 晴らしい。遠く、マッターホルンも見える。
素晴らしい山頂だが、長居は無用。後続が続々と押し寄せてくる中、下りにかか る。雪の斜面に出て、クランポンを再装着した後は、斜面を直下降。突然、 最後尾のスティーブが 「走れ」と大声で叫ぶ。わけがわからず、ダッシュ。一息ついて振り返ると、落 石があったようだ。確かによく見ると、一部、落石の通り道になっている。気温 が上がって、落石が出始めたのだ。その後も、落石がしばらく続き、後続パー ティーがかなり気を揉んでいた。なるほど、ああいうのが落石の通り道の跡か、 以降、心しよう。
この後、北に向かい、ミディ・デ・グランのコル(Col du Midi des Grands; 3235m)から、 再び降りる。コルの後のざれ場が嫌らしかったが、早々に通りすぎ、以降、アレッ クスのリードで、氷河地帯を渡りきる。小屋到着 10:36。速い!
このルートの標準時間は 3〜4時間のところ、僕らは、3時間を切った。おぉ、そ れはなかなかではないかな? ちなみに、他の 2チームよりも僕らがかなり速かっ たようだ。僕のチームだけ女性はいなかったし、皆、それなりに鍛えているし、 そういうことだろう。ちなみに、ナオミは、ちょっと高山病にかかって、頭痛に 苦しんだらしい。昨日の活動だけでは、高度順応が十分でなかった、ということ か。
小屋でしばらくゆるりと過ごす。一組、日本人のハイカーを見かけた。実は、彼 らが、2週間の中で山中で見かけた唯一の東洋人だった。やがて、小屋を出立、 登山リフトの駅まで来た途を戻る。デビッド他速い連中に道を譲って、カレンと マイペースで下っていく。お花畑のこの径は、本当にいい。
最後、ロープウェイを降りたところで、最後の短いミーティング。
濃い 3日間でした。ありがとうございました!!
07/23 (待機)
今日は、ドムの来る日、ゆっくり寝て、シャモニーまで出向く。長距離バスが遅 れて、乗り継ぎに失敗した結果、数時間遅れるも、無事に出会う。 手早く食糧買い出しを済ませて、天場へ戻る。
07/24 (雪上訓練)
今日は、ドムの訓練を主目的に、雪上訓練に、Grands Montets駅へと出向く。天気 はさほどよくなく、雨雪の中の訓練開始となったが、駅の隣だから、迷うおそれ もない。雨雪がいつか降るものなら、今日みたいな日に降ってほしい、というも のだ。
ステップカット、雪上歩行から始まり、滑落停止、確保、コンテ、クレバス救助 まで、一通りのメニューをこなす。クレバス救助は、適当なクレバスが見当たら ず、結局、堅雪斜面上で行ったので、半分しかやっていないようなものだが。結 局、この日は、訓練だけで日が過ぎた。
ドムは非常に熱心で、それは嬉しい限りだった。実際、翌日には、ドムは、今ま での冬の経験すべて合わせたよりずっと多くのことを二日間で学んだ、と述懐し ていた。訓練を主導したものの冥利に尽きる。
この日、訓練中、スティーブに会った。彼は、僕らの次の日程のコースの講師と して、再びこの場所に来ていたのだ。「正しいことをしているね」とお褒めの 言葉を頂いたものだ。先生、御迷惑をおかけしたものでした!
07/25 (Mer de Glace)
幸い今日の天気予報は文句無い。Chamonix まで出て、登山列車に乗る。モンタ ンベール(Montenvers)駅に降り立ってから、ガイド本の通り、氷河に向けて、径 を下っていく。普通の観光客でも通れそうな径が、枝分かれした途中から、垂壁 の梯子の連続となる。そしてすぐメール・ド・グラス(Mer de Glace: 直訳 「氷の海」)氷河上へ降り立つ。200m弱の下降だった。
クランポン装着、アンザイレンして、いざ出陣。8.5mm×60m のザイル(ハーフロー プ)なので、末端の 10m強は僕のザックの中に仕舞い込んでいる。Mer de Glace は、巨大な氷の塊、といった感じだ。アンザイレンした段階では周りにたくさん 見かけた登山者が、そのうち誰もいなくなった。一部は、アンベール・デ・エギー ユ(Refuge d'Envers des Aiguilles)小屋に向かうのを見かけたし、中にはグラ ンドジョラスの方に行ったパーティーもあるかも知れないが……、多くは、氷河 上の歩行自体を目的にしていたのかも、と推測。
やがて、タキュル氷河(Glacier du Tacul)とレショウ氷河(Glacier du Leschaux)との二つの氷河の分岐に着き、右手のタキュル氷河の方に向かう。実 は、この直前まで地図を読み違いしていた。周りのスケールが、自分の感覚より もあまりに巨大なので、あの○○が、△△のはずがない、と思っていたわけだ。 しかし、歩いても歩いてもなかなか着かない……。さすがアルプス!
タキュル氷河に入ってから、クレバスが目立ち出した。本来のルートは右 手の方だが、それよりも少し内側にルートを取ってみる。背丈よりはるかに 高くそびえ立つ巨大なクレバス(ルートに雪はないので、すべて見たまま、 氷のまま)の合間を縫って歩く。 氷の回廊を歩く雰囲気だ。この世の ものならぬ氷の世界。壮観であった。やがて、ドムが岩に書かれた小屋への矢印 を発見し、それに向かうにつれ、スノボーの残骸などで氷河上に作られた標識に出会う。
ロープを外して、最後の急な岩場へ。梯子や鉄のステップの連続の急斜面。不安 はないが、何しろ急なので、一日の最後としては、体力的には結構、消耗する。 ひーひー言いながら、ルカン(Requin:鮫)小屋到着 13:55。僕らが、今日到着 する、最初のパーティーだったようだ。
荷を解き、ゆるりと小屋で休む。そのうち、雨が降り出し、小屋の中へ。
やがて、小屋の女主人が何か叫んで僕らの注意を惹こうとしている。指さす方を 見れば……、実に見事な完全な虹!!
中空にかかるというより、山の手前にかか る虹だが、両端が地面に突き刺さるような半円形だ。感動であった。
18:30 夕食、20:45 就寝。山小屋なのに夕食がうまいのは、さすがフランスの宿 だなぁ。
07/26 (Aiguille du Midi)
今日は、Aiguille du Midi へ向けての氷河歩行。朝食を手早く終えて、小屋を 一番に出立、06:15。まずは、プティ・ロニョン(Petit Rognon)の根元へ向けて のコンタリング(等高線に沿って進む)。
じきに氷河地帯に足を踏み入れるが……、これが結構、スリリング。クレバスが 巨大で、道を見つけるのが必ずしも容易でない。僕がリードしている最中、かな りの急斜面を登る必要があって、結局、アイス・スクリューで後続のドムを確保 することになった。
そして、その後がさらに大変。どっちを見ても簡単そうな抜け道がない! 今来た 途を戻るのは、論外。登るのも難しいところを下る気はしない。結局、ドムと相 談の結果、前のクレバスの中に降りよう、ということになった。クレバスの底を 歩いていった先で歩いて登れそうな場所が見えているからだ。
とは言え、その下りも上から見る限り、僕には自信が持てなかった。余裕で 大丈夫と自信満々の様子のドムに先に降りてもらう。一応、ピッケルを氷に 突き刺して仮確保……全然心もとないので、確保していることはドムに黙って いる。中程付近で難しそうだったので、声をかけると、確保が欲しい、との こと(だから言ったのに!)。ということは、僕もここは懸垂で降りたい。 隣の氷壁で、アバラコフ・スレッドを作り、スリングを通す(初めての経験)。 カラビナをかけて、ドムをロワーダウン。さらに、ロープを通し直して、 僕も懸垂。その氷壁に陽が当たってきたので、急いだものだった。
ここから先、僕がリードして、クレバスの底を渡っていく。積もった雪は信用な らないので、両壁面にブリッジしたり、割とテクニカル。やがて、3mほどの垂壁 にぶつかる — フリーで降りるのはちょっと心もとない。というわけで、新た にアバラコフ・スレッドを作って、スクリューでバックアップも取って、ドムか ら降りてもらう。僕も懸垂で降りて、再びリードする。ほどなく、上から見えた、 歩いて脱出できる場所に着き、クレバス脱出。ほっとしたものだ。クレバスの中 は、やはり、あまり精神衛生上よろしくなく。
結局、僕らは、コンタリングのところ、少し上に登りすぎたらしい。結局、いず れは登らなくてはいけないという意識が働いたので(今日の予定登高標高は、 1320m)、クレバスを避ける折り、登りと下りの二つの選択肢があった時、登りを選び すぎ、結果、嫌らしい大クレバス地帯に入り込んでしまった、ということのよう だ。下には、もっと安全そうな径が見えているので、この後は、そこ目指して、 とりあえず下ることにした。安全地帯到着 09:05。随分と時間を使ってしまった ものだ。いやはや、クレバス侮り難し。
ここからは、雪で覆われたクレバス地帯を歩く。下に何があるか分からない分、 ある意味、大クレバス地帯よりもいやらしい。ドムに先を歩いてもらい、慎重に歩 を進める。そのうち、踏み跡にでくわしたので、それを辿る(今日はルカン小屋 発で他に 2組、同じルートを取っているはずなので、彼らはもう先に通りすぎた のだろう。ただ、踏み跡は今日のものだけには見えなかった)。もっとも、踏み 跡もところどころ、ずぼっと大きな穴(つまりクレバス)が開いているので、注意 を怠るわけにはいかないが。
グロ・ロニョン(Gros Rognon)の横を通りすぎ、ロープウェイ(ゴンドラ)の下を 通り(このゴンドラの線、悪天時に現在位置の目安になるかと想像していたが、とんでもない。 高すぎて細すぎて、悪天だったら全く見えないこと請け合いだ)、徐々に、でも 確実に登っていく。僕は 2度ほど、雪の下のクレバスに片足が落ち込んでしまった。 うーむ、分からないものだ。
グロ・ロニョンのコル(Col du Gros Rognon) を目前にして、踏み跡から離れて、 少し北側へと向かう。ガイド本を信頼するとそうなるから。ただ…、これは結局、 (踏み跡を外した分)体力を消耗して、クレバスを避けるのに努力するだけに終わっ た。ガイド本の方が正確でない、ということか。
ミディのコル(Col du Midi)のテントの数々を横に見、正面に文明の砦エギーユ・ デュ・ミディ(Aiguille du Midi)を見、ハードそうな岩登りをする人を正面に見 る中、人の数も増えた(踏み跡の作る)三叉路に出た。最後の登りは、ナイフリッ ジの雪稜。僕がリードする。ドムは疲労の色が濃い。やがて、ようやく、雪稜の 先のエギーユ・デュ・ミディの一展望台に着く。観光客と(出発の準備、あるい は到着後の片付けをする)登山者が入り乱れる面白い場所だ。
岩崎元郎氏の「夏山」だったか、ヨーロッパ・アルプスは観光客と登山者との区 別が厳然としてある、観光客はロープウェイの駅の向こうの雪原に足を踏み入れ るなんて考えもできない、一方、日本の山はその区別が曖昧で、結果、不幸な事 故が後を絶たない、といった記述があった。このエギーユ・デュ・ミディの駅は その典型のような気がする。展望台の柵の向こうは、いきなり両側の切れ落ちた ナイフリッジの雪稜。技術や装備無しでは、文字通り一歩も踏み出せない。メー ル・ド・グラスの氷河にしてもそうだ。観光客は、垂壁の梯子を下ろうなどと思 いもしない。確かに、その区別は非常にはっきりしている、と肌で感じた。
さて、実は、エギーユ・デュ・ミディの山頂に行くには、ここから有料のエレベー
ターに乗らなくてはいけない。どうしたいか、とドムに問うと、
「別に行きたいとは思いませんけど。俺にとってはここが山頂ですから。」
恰好いい台詞だぞ、ドム!
というわけで、しばらく別の展望台で景観を楽しんだ後、ロープウェイでシャモ ニーまで降り、天場まで戻ったのだった。すばらしい氷河歩行の二日間だった。
ちなみに、今日の最後、ドムが疲労困憊だったのは、ひとつには、水分補給が十 分でなかったこと(1.3リットル持っていたが、全部、飲みきっていた。朝、出立 前の水分補給が不十分だったか)、もうひとつには、高度順応の問題だったろう か。実際、翌々日にここに来た時は、一日の最後まで、元気一杯だったから。
07/27 (Petite Aiguille Verte)
今日も幸い天気は悪くなさそうだ。でも、二日間の山行の後の今日、ハードな山 行をするつもりはない。というわけで、再び Grands Montets駅に朝一番に来て、 PD のルート(西陵)からプティット・エギーユ・ベルト(Petite Aiguille Verte) を目指す(同山では、一番簡単なルート)。先に行ったカレンと恋人ダンケンによ れば、とにかく混み混みだから早立ちに限る(彼らは 1時間半で登って、4 時間 かけて降りる羽目になったとか)、ナッツの 7番は必携ということだった。一方、 昨日偶然シャモニーで会ったナオミらによれば、残置スリングやピトンを頼りに、 ナッツ無しで十分だった、ということだった。僕は、9番まで奇数番のナッツを 持参した。
ドムは昨日午後遅くから軽い雪盲だったようで、 昨晩から、ちょっと目が痛む、という。昨日、ゴーグルをはめた時には、時すで に遅かったようだ(サングラスが見つからず、ゴーグルを持参していた。ゴーグ ルは夏のアルプスでは確かにちょっと暑いかも知れない、つまりはめるのが億劫 な気持ちは理解できる)。ドムはスノーボードの経験がそれなりにある、という ことなので、その辺は本人に任せていたのだが、冬と夏とでは全然違う(当たり 前……)、ということを思い知った、と本人の弁。今日(と翌日)は朝からゴーグ ルをして、静養に努めていた。それが功を奏して大したことはなかったようで幸 いだった。
さて、駅から雪面を登り、やがて岩稜に達する。ここまで一番乗りだったが、こ の後、二、三組追い越していった。僕のリードでコンテで進む。ドムは、クラン ポンでの岩稜歩きがまだ心もとなそう。ドムを確保しながら、慎重に進んでいく。 2, 3 組に抜かれるが、気にしない。確かに人気ルートだ! 人が多い! 昨日まで の静かな氷河歩きとはえらい違いだ。
やがて山頂(3512m)に達する。09:55。実は、7番ナッツは使わなかった気がする。 3、5、9番は使ったが……。どこで確保点を取るか、ということか。いずれにせ よ、気持ちのいい岩稜スクランブリングだった。英国の基準で言うならば、スク ランブリングの Grade 3 というところだろうか。
今日もまた、遥か彼方の エギーユ・ヴェルトはじめ、すばらしい眺望 を楽しめた。狭い山頂に後から後から人が来るので、そうゆっくりもしていられ ないのが残念なところか。
少しスクランブリングで降りた後、残置スリングの場所に着く。懸垂下降のポイ ントだ。西陵は、人がひっきりない。ここは、北稜も PD なので、ずっ と人の少ないそちらの方に、懸垂下降することにする。最初を降りたら、その後 は、普通に下降できることを期待して。残置スリングは退色していて心もとない ので、自分のスリングを足して、懸垂下降へ。今日は、30メートル懸垂下降、(2 日前とは違って)しっかりとバックアップのプルージックもセットして、万全の 体制で臨む。
さて、30メートル降りたはいいが、その後の雪稜も実はかなり急だった。ドムは 気が乗らない様子。そこで、ドムを確保して、15メートルほど降ろす。僕はフリー で後に続く。そのポイントから、さらに懸垂、そして、最後、もう一度、懸垂。 最後の懸垂で、ザイルを投げた時、大きなクレバスの中に落ちていった。「クレ バスの中だぞ〜」と右手から声が届く。見れば、コースで一緒したジェレミー が下にいるではないか。確かに、昨夜、彼らもプチット・エギーユ・ヴェルトに 来る予定(北稜経由を予定)と言っていた。昨日はナオミらに会うし、今日はジェ レミーに会う。いやはや、シャモニーとは狭い場所だ。
ザイルの先は確かにクレバスの中だが、それなりに余裕がありそうな感じでもあ る。ということで、先にトライしたドムは、クレバスを飛び越えて、向こうに懸 垂で着地することができた。僕も後に続く。ここからは、雪面、ドムの突き刺し たピッケルを使って、腰絡みでドムの下降をしばらく確保、僕が後に続いて、最 後、コンテで締め括る。実は、このコンテの最中、僕は両足が雪で隠れたクレバ スに落ち込む経験をした。一応、自力脱出できる範囲だったが、怖いものだ。あ んな場所にクレバスがあるとは……。全く予想外。
結局、西陵を普通に下るよりも、時間がかかったかも知れない。実際、 西陵経由なら歩いて降りられる高度でも僕らは懸垂下降していたから。 そういう意味では、ルート選択が適切でなかった、と言える。しかし、ドムにとっ ては、初めての真剣な長い距離の懸垂下降だったということで、大いに楽しんで いた様子。ドム曰く、初日がすごいと思えば、2日目はもっと素晴らしくて、 今日はさらにいい! 最高!! とのこと。 なによりだ。
07/28 (Mont-Blanc du Tacul)
今日が、今山行のハイライトになるべき日。モンブランを取り巻く独立峰のひと つ、4248m のモンブラン・デュ・タキュル(Mont-Blanc du Tacul)に登る(一般ルー ト; PD)。基本的に雪のルート、最後の頂上部だけ、わずかに岩峰という話だ。 その岩峰に備えて、ナッツの 3, 5, 7番だけ持参することにする。
今朝は明らかに暖かい。天気はいい、という予報だったが、早朝一番の登山ロー プウェイに乗りたく、(無料バスではなく)タクシーでシャモニーに向かった。30 ユーロ! うっそー! それだけあれば、ジュネーブ空港にだって行けてしまう……。 しかし、時間には替えられない。
2日前に(下りに)使ったロープウェイで、エギーユ・デュ・ミディの山頂駅へ。 シャモニー側の駅では、またもやジェレミーに会った。彼らもモンブラン・デュ・ タキュルに登るそうだ。シャモニー狭し……。手早く(では、実は全然なかった のだが……。僕がもたもたしてしまって)準備して、出発 7:10。例のナイフ・リッ ジの雪稜を下って、コル・デュ・ミディを過ぎ、一路モンブラン・デュ・タキュ ルへ。
前を行く一パーティーの後を辿るが、少し左にそれ過ぎの感じ。右に切り返し直 す。氷のデブリ状の上を超えていく。本来のルートに戻る頃には、普通の踏み跡 を辿っていたグループらに、先を越されている。
僕らは左手からトラバースして普通の踏み跡に向けて歩いていたのだが、その踏 み跡を下から登っていたパーティーの一組が、滑落した! ザイルパートナー共々、 転がり落ちていく。下から登っていた他のパーティー 2, 3人もあおりを受けて しまったようだ。幸い、その下に緩斜面があったのでそこで止まって、特に大き な怪我もなかったようだが……、いやはや怖いものだ。僕らも、この堅雪の 急斜面、慎重に登らないと。
最初の斜面を登りきったところで、小休憩を入れる。次々にパーティーが抜いて いく。再度出発した時には、運悪く(?)、遅いパーティーの後ろについてしまっ た。遅いと言っても、踏み跡を辿りたい、という制約もあれば、ロープの長さも あるし、一気に抜き去るというわけにもいかない。その前のパーティーがどんど ん先に行って見えなくなった頃、ようやく抜いて前に出た。
ひたすら雪面を登り、最後、西陵に出る。前のパーティーは、稜線を越えて、モ ンブラン(あるいは、モン・モウディ)の方に向かったか。スティーブお薦めのモ ンブラン登頂ルートだ(一般ルートに比べて長い。しかし、何ヵ月も前に予約が 必要という混み混みのグーテ小屋を使わずに済み、グーテ小屋近くの落石地帯も 避けられる(?)、なにより人がずっと少なく、危険な登山・下山のすれ違いを避 けられる、という利点がある)。
稜線上を進み、北西陵へと稜線が曲がっていった後、最後の岩峰にたどり着く。 ここで一息入れて、登り開始。コンテというか、僕がフリーに近い状態で登って、 ドムを確保していく。意外に難しい気がしたので、最後は 3番のナッツで確保を 取った。そこから頂上は実は 5m だったが。ばんざーい!! ドムとがっちりと握 手を交わす。
この日もすばらしい見晴しだった。盟主モンブランをはじめ、360度の大パノラ マが展開している。
4248m は、今までの僕の登山の最高度記録マウナ・ロア(Mauna Loa)山(4167m)を 上回り、最高地点だ。今まで
1週間以上、高いところで過ごしてきたせいだろう、 高度の影響は特に感じない。今回は無理だが、次は、向こうに見えるモンブラン
には登りたいものだ。
じきに、別の 4人のパーティーが登ってきた。しかし、僕らの前には誰もいなかっ た(降りてくる人にも出会わなかった)、ということは、ひょっとすると、今日、 モンブラン・デュ・タキュルに登った中では僕らが一番乗りだったかも知れない。
さて、下山。登り以上に慎重にならなくては。4人には先に降りてもらった。そ して、ドムに中間支点を作りながら先に降りてもらう。僕が、続いて、中間支点 を外しながら、岩峰の根本まで降りる。思ったより簡単だった --- 下る方が登 るより易しいのは意外だった。とはいえ、念には念を入れておくに越したことは ない。
長い雪面の下り、氷のデブリ(実は、後で、これは、2、3日前にセラックが崩壊 した氷雪崩が起きた跡だと知る…)地帯を過ぎ、コル・デュ・ミディまで下る。 最後に待っているのが、エギーユ・デュ・ミディの山頂駅までの 300メートルの 登り。疲れた身にはちょっとこたえるが、まぁ仕方ない。
ロープウェイで降りて、天場行きのバスを待つ間、ステファンとその連れに出会っ た(シャモニー狭し!)。彼らは、コル・デュ・ミディでビバークしながら山行し ていたそうな。午前 2時発でのモンブラン往復までやったという。それは大した ものだ。
この日で、ドムとの雪と氷と岩のアルパイン・クライミングは終わる。ドムも僕 も大満足の日々だった。
07/29 (L'Index)
この日は、ドムの出発の日。しかし、バスの発車は午後なので、午前中、短いルー トならできる。というわけで、貪欲に、岩のルートのレンデックス(L'Index)に 向かうことにする。IV級(UIAA)なので、そう難しくはないはずだ。僕は、クライ ミングシューズは使わず、スクランブリング・シューズで向かう。
例によって一番のロープウェイ・登山リフトに乗るべく、Les Praz まで歩いて いる最中、トラックの運ちゃんに声をかけられた。天場で僕らをみかけた人で、 乗せてくれるという。なんて優しいんだ!
リフトを降りて、緑のテラスの方に15分ほど歩いて、取り付きに着く。ロープウェ イで会った二人組がすでに登り始めている。僕らもギア・アップ。今日はクライ ミングシューズを履いてやる気満々のドムが主にリードとする。コンテで登ろう か、と話していたのだが……、ドム、出だしの垂壁の真ん中でちょっと苦労して いる模様。「確保しようか?」「お願い」というわけで、普通のスタカットにな る。後で聞くと、その時、誤って膝を岩にぶつけてしまっていたようだ。
最初の垂壁の後は、トラバース気味に山頂まで登っていくことになる。尺取虫ス タイルで、2回のリードをすることになるが、僕がリードしたのは、易しい部分 だけ。難しい部分はドムに自然に任せることになった。岩は、ところどころボル トが打たれているが、ボルトだけに頼るのは、ちょっと怖そう。ナッツやフレン ズやスリングも欲しいところだ。とはいえ、難度的にはスクランブリング・シュー ズで特に問題なく楽しく登れる。なかなか高度感の楽しめるルートだ。
このルート、3、4パーティーと行き合った。いやはや、これまた人気ルートとい うことだ。最後は、山頂から懸垂下降で一気に降りる。その懸垂下降のためだけ に、60m のもう一本のロープを持参していたのが役立った。ここは、50m を 2本 か、60m を 1本で 2回か、が欲しいところのようだ。
懸垂を終えた頃には、予定よりちょっと時間オーバー。スタカットで登ったから なぁ。ロープウェイで急ぎ降りて、今度は親指でヒッチハイクして、天場に戻る。 おつかれさま。
さて……、その後、シャモニーまでドムを送っていったのだが、バス停について も、バスもなければ、たくさん待っているはずの乗客もいない。しばらくして、 ドムが切符を確認すると……、なんと日付は明日ではないか! そりゃ、バスも乗 客もいないはずだ。お前なぁ……。ドムはかなりショックだったようだ。我なが ら信じられん、という感じ。翌日泊まるはず、会うはずだった、兄宅と恋人に急ぎ 連絡を取っていた。まぁ、別に、もう一泊テントに泊まればいいだけだから、被 害は幸い最小限で済むからいいんだけど。ついでに、今日の午後は天気は悪いと いう予報だから、どっちにしても L'Index くらいしか行けなかったことだろう。 それが慰めか。
07/30 (シャモニー谷ウォーキング2)
というわけで、今日が、ドムの本当の出発の日。午前中は暇なので、谷のウォー キングに出かける。ドムは、ウォーキングも大好きで、100km を 19時間で歩い た記録もあるそうな --- それは大したものだ。のんびりと谷間の森の中を歩い ていく。ウォーキングのルートは、バックの岩山、雪山以外は、日本の山に近い 感じがしたものだ。悪くない。ドムも、大いに楽しんだようだ。
午後、今日こそドムを送って、後は、シャモニーで登山用品店に行ったりして過 ごす。
07/31 (Montenvers)
シャモニーに来て以来、ほとんど登り詰めだった。昨日、土曜日は、どちらにし ても(つまり、ドムが「予定通り」帰っていたにしても)完全休息日の予定だった。 だから、軽いウォーキングは、ちょうどいい感じだ。そして、今日は、一人の日、 ハードなクライミングではなく、山歩きを愉しみたい気分だった。
というわけで、出かけたのは、Montenvers。07/25 に登 山電車で降り立った地だ。今日は、下から歩いて登りたい。シャモニー谷の レ・ボア(Les Bois)までバスで行って、そこから上まで自分の足で登る (Chemin de la Filia 経由)。07/19 には、 レ・ボアも含めて、天場から谷を自分の足で歩いた。 07/25 は、モンタンベール(Montenvers)から歩き 始めて、翌07/26 に、エギーユ・デュ・ミディまで登っ た。07/28 には、エギーユ・デュ・ミディから登り始め て、モンブラン・デュ・タキュルまで登った。つまり……、今日、モンタンベー ルまで足で登ることで、トータルとして、天場からモンブラン・デュ・タキュル まで足で登ることになる! (そりゃ、ずるだよ、とステファンには笑われたが……)
というわけで、8:43発。今日はごく軽装備で登る。軽量折り畳み傘は持てど、 レインコートも持たず。天場を発つ前に済ませたはずだが……、山に入る前に早 速、もよおしてしまい、たまらず、付近のレ・ドリュの天場のトイレに駆け込む。 出るとき、見咎められて、お金を払うことになった。次からはちゃんと声をかけ てくださいね、と。いや、払うもの払うのは至極当然だと思うが、声をかけるこ とに思い至らなかったのは、全くもって恥ずかしい限り。緊急事態だったとは言 え……。穴があったら入りたい気分であった。申し訳ない!
まぁ、なんとかそれで一息つけられて、あとは快調に登っていく。荷物は軽いし、 昨日休息したしで、速い速い。で、曲がるはずの道を見過ごしてしまった。ありゃ りゃ。気づいて戻ろうとしたところで、最前に追い越した登山者二人連れとコー スについて話をする。すると、自分が今、行っているルートの方が見晴しがよく ていいんだという。このルート、○○で切れているはずでは? いや、地図にない みたいだけど、ちゃんと径があるんだとさ。左様ですか。
実際、レ・ロシェール・デ・モット(Les Rochers des Mottets)からの径は、迷 いようがない、実にはっきりとした径だった。うーん、地図も頼りないもんだ。 ただし、途中に分かれ道があって、これも当然、地図にはない道。左手を取った ら、予想通り氷河への直行ルートだった。何はともあれ、ほどなく、氷河メール・ ド・グラスに着く。07/25 に来た時には分からなかった が、ここは、一大観光地となっているのだった。氷河のどてっ腹に穴(洞窟)を開 けて、そこを有料で解放しているのだ。ご丁寧にモンタンベールから、洞窟入口 近くまでロープウェイも通っていて、楽のし放題になっている。シャモニーでメー ル・ド・グラスの名前をよく見かけるなぁ、と思ったら、そういうことでしたか。 納得。
僕は、料金所まで見届けて(?)、モンタンベールの駅まで径を上がっていく。途 中、氷河に降りる登山者用の径への分岐を過ぎた。ここを数日前に通ったんだ なぁ、とちょっと感慨。モンタンベール駅からは、シャモニーまで、登山電車 の軌道と何度も交叉する径(Chemin du Montenvers)を下って行く。下りるにつれ、 シャモニー谷がどんどん近くなっていく。何組かの登山者にはであったが、 おおむね静かな径と言っていいだろう。そりゃ、登山電車があるんだから、 普通、そっちを使いますわな。
08/01 (Vallorcine)
今日は、僕のシャモニー行動最終日(明日が移動)。昨晩のうちに、アレックスと その連れのマイクと話して、一緒にスポーツ・クライミングのルート(つまり、 ボルトのルート)に行くことにしている。ステファンが行って、手軽だったとい う岩場だ。
アルジェンティエールまで歩いて、電車でル・ビュ(Le Buet)駅。あまりぱっと しないが、左手のあれかなぁ、と岩場の方に歩いていく(右手のはずなんだけ ど?)。……が、10分で着くはずが、とてもそんな感じではない。ふと振り返ると、 遠く、線路の右手に、岩場が見える。あっ、多分、あっちだ。
どうも下りる駅をひと駅間違えてしまったらしい。誰もガイド本を持っていない からなぁ。おかげで、結構なウォーミング・アップになった。あはは。
ヴァロルシンヌの岩場に着くと、結構な人だかり。ここは、駅からは近いし、最 高で F6b という難度、人気があるのは当然だろう。ガイド本はないが、適当に 当たりをつけて、登り始めることにする。ボルトがあるから、それをガイドにし て登ってしまえ、と。50m のシングルロープで 3人で登るので、登り方は臨機応 変に。牛の尻尾 (Cow's tail) が大活躍だった。
最初はマイクのリード、アレックスが 2番手、僕が最後。この第一ピッチ、Mild Severe か Severe くらいか。第二ピッチは僕がリードする。難しくはないが……、 全然ボルトがないではないか。いきなり大きくランアウト。一つか二つクリップ し、トータルで 10m 登るか登らないうちに、レッジと確保点らしきものに出会っ たので、そこでピッチを切る。
次いで、アレックスがリード。さらにマイクが再びリード。どうも難しそう。丁
度、上から懸垂で下りてきた人がいて、「難しいルート登っているね、6a か 6b
のはずだよ。」と声をかけられる(後で本屋でガイドブックを見ると、6b だった)。
ありゃ、道理で。マイクは結局、フェイスの直登を諦めて、右のクラックへと移
動して、上まで登る。アレックスがクリーニング。ということは……、僕は、トッ
プロープ状態で、スラブのフェイスを登れる、ということ。頑張るか。
なかなかに難しかったが、なんとか落ちずに登りきった。アレックスには、「ヨ
ガでもやっているんちゃうかと思ったよ。」とからかい半分、感心半分で言われ
た。うーん、柔軟性が僕の取り柄ですから……。もっとも、簡単なルートを難し
そうに登るのもまた未熟者の証拠でもあるから……、いいのか悪いのか。
最後、僕がリードして(直登なら、HS くらい?)、終了点に着いた。そして、ここ からは、4ピッチの懸垂下降で下まで降りて、クライミング終了となった。
花崗岩のこの岩場、なかなかに悪くない。しかし、至るところにボルトが打たれ ているのが興ざめと言っていい。クラックがそれなりに走っているので、ナチュ ラル・プロテクションで何ら問題ない。英国ならば、一本のボルトも必要ない岩 場だ。唯一怖いのは、僕らの 4ピッチ目のフェイスだが、地面からは十分上にあ るのだから、10m 落ちたところで大したことはない(ように、ロープを張ること が可能)。そして、10m 落ちていいならば、ナチュラル・プロテクションでいけ る。シャモニーの岩場は皆、スポーツルートなのだそうだ。いい岩場なのに。残 念至極だ。
正直、僕はスポーツルートには興味が沸かない。今日、あえて一緒したのは、友 好を深めたかったから、という単純な理由だったし。その目的は大いに達せられ たので、よかった。明朝、僕は早いので、晩、固く握手を交わして、アレックス とマイクと別れた。彼らは湖水地方の中心部に住んでいる。また会うこともある だろう、と期待したい。
08/02 (移動)
いよいよ、シャモニーと、アルプスとお別れだ。名残惜しいが仕方ない。ドムと は、また来年来ような、と話し合った。再訪を期して、レ・ショザレの天場を離 れ、英国への帰途に着いた。
生活編
駅での出会い
シャモニーの駅でアルジェンティエール行きの電車を待つ。次の(実は最終の) 便まで40分はある。腹ごなししたいが(マクドナルドが開いているのが見えた。 嫌いだが……空腹には替えられない(弱々))、35kg の荷物を抱えて雨の中、外に 出る気はしない。切符売り場のお姉さんに、少しの間、荷物を駅(の待合室)に置 いておいていいか、と尋ねると、だめ、と一言のもとに却下された。持ち主不在 の荷物は、警官が発見次第、壊される、という次第……。うーむ、この非人間的 状況が、ここシャモニーでもか……。
同じく待合室で待っている模様の東洋人を見かけたので、10分ほど見ててくれな いか、と頼むと、快く引き受けてくれた。ついでに彼、ケルビンも腹が減ってい るということで、彼の分のバーガーも買ってくることになった。
しばらくして、駅でバーガーを頬張る僕たち。打ち解けて会話など交わす。聞け ば、シンガポール人の彼は、単に雨宿りの最中。明日から友人二人と一緒にモン ブランに出かけるんだそうな。その友人が、モンブランの山頂でプロポーズする んで、ケルビンはカメラマン役なんだとか。くぅー、恰好良すぎるぅ!
旅はこういう不意の出会いが楽しいよねぇ、シンガポールに来ることがあれば、 連絡ちょうだい、と名刺をくれた。そう、旅は何があるか分からない、モンブラ ンの山頂で、実は未来の嫁さんに出会うかも知れないしね、って。思いっ切り旗 を降ってあげた。
その晩はずっと雨だったが……、翌日からはいい天気だった。ケルビンたちがい い山行を楽しめていたら、いいな。
誘惑
07/19の晩、テントの入口を開け放ったまま、 中で、明日から始まるコースの用意をしていた。と、一人、ぶらりと 入口に立って、声をかけてきた。「こんばんわ。」仏語圏の人間ながら、 英語もまぁ、それなりのようだ。
何の用だろう、と訝しみつつ、途切れがちな日常会話を交わす。ほどなく、 つと、顔を寄せてきて小声で囁く --- 「私とセックスしません?」
!?!?
何と大胆かつストレートなお誘い。いや、興味ないので、と断るも、退かない。
「でしたら、一緒にシャワーを浴びるってのはいかが? お互い見つめあいつつ。」
再度断ると、諦めて退散していった。
ちょっとは惜しいことしたと思わなかったかって?
いや、それが全然。
だって……、男でしたから……。
単刀直入の言葉を聞くまで全く予想もしなかった自分は鈍かったかも?
食事
今回、厳しい重量制限をかいくぐるため荷物をとことん減 らしたわけだが、そのあおりで、食品関係をほぼ一切持ち込まなかった。こ れは失敗だった……。香辛料はもちろん、醤油ひとつ、塩ひとつないのは結構痛 く、着いた翌日には後悔していた。
僕の山での自炊生活では、バターを多目的に使うことが多い。しかし、夏のシャ モニーでは、これも要注意だ。なにしろ日中の気温が 30℃を超え、直射日光に 当たると耐えがたいほど暑い……ということは、油断するとバターは日中すぐに 融けてしまう! (実際、完全に融けた)。テントマットの下に敷いておくと、かな り違うようだったが、気づいた時は時すでに遅し。バターをビニール袋に入れて おいたのが幸いだった、他に被害が及ばず。チョコレートなども、当然、同じ憂 き目にあう。クーラーボックスを持ち込むのもいい考えだろう。
ドムと一緒にいる時は、何となく流れで、ドムがおおむね調理していた。もっと も、ドムの調理は典型的英国風、つまり、瓶詰、缶詰を買ってきて開けるだけ、 それにパスタを加えて終わり、に近いのだが。二人で、トマト風味の野菜と肉類 との缶詰を二つ買ってきて、合わせたりすることで、ましな味を出すことに成功 したりはした。……とはいえ、ドムが帰ったその日は、ゆっくり時間をかけて炒 めものを作って、食欲を満たしたりした。英国風に長期間付き合うのはやはり辛 く……。
スーパーで買う食材は基本的に非常に安い。英国に比べても安いし、日本に比べ るとはるかに安い。果物とか、ふんだんに摂取できた。夏の天幕生活では生もの は保存できないから、それがちょっと痛いところではあるが。二人いる時は、そ の点、楽でよかった、たくさん一度に買えて。一人ならば、例えば、ソーセージ を計り売りしてもらうなどすると、無駄無く使えるだろう。
主食は、パン、パスタ、米(長米種)が主だが、インスタントラーメンも手に入っ た(と思う)。パスタや米は、短時間調理のものが手軽でいいかも。パンは、ジャ ムで食べる手もある。ジャムなら、かなり日持ちする。
面白く感じたのは、レ・ショザレのキャンプ場でも、毎朝、フランスパンを売っ ていることだった。値段も質も悪くない。1週間に 1度か 2度、ピザ屋が来たり、 肉屋が来たりもしていた。というわけで、僕の朝は、フランスパンが主だった --- 村のパン屋で手に入れて。
今回、当地での行動食は、以下のようなものを使った。スーパーも勝手が違うか ら、そのあたり、試行錯誤の連続という感じだった。
- ナッツのミックス (見つけるのが結構面倒)
- ドライフルーツ (これもレーズン以外、見つけるのが結構面倒)
- チョコレート (テントに保存は不可、山上で使いきる)
- キャラメル、飴類 (テントでの保存は要注意)
- チーズ (小分けにしたものが手に入った)
- フランスパン! (日帰り山行に限る)
天場の生活(レ・ショザレ・キャンピング)
天場のレ・ショザレ・キャンピング(Les Chosalets camping)は、半分くらいの 面積はキャンピング・カーで占められていた。そして、残りの半分は、車で来た 人のためのもの。車に横付けするような形で、天幕を張れる。下は、草地。多少、 傾斜があったりする。この辺、英国の天場とよく似ている。
便所はもちろん、シャワー、各種水道(洗面用、洗濯用、食器洗い用)が揃ってい る。石鹸(シャンプー)、洗濯石鹸、食器用洗剤やスポンジは持参する必要がある。 便所のトイレット・ペーパーは備付。原則として湯が使えるが、晩(22時以降?) は水しか出ない。ただ、シャワーの湯は、あまり温かくなかった。飲料水は、水 道から取ってもいいのだろうが、キャンプ場の隣に湧き水からパイプが引かれて いるので、そちらを主に使った。日本よりはずっと硬水だが、それほど悪くない。
必要なら、乾燥機も有料で使える。夏のシャモニーは、昼は十分暑いので、晴れ の昼間なら、テントの上などに広げておくと 3時間で乾くが。洗濯挟みは是非持 参したい。ピッケルを地面に立てて、テントとロープでつなげて即席物干し竿に している人も少なくなかった。
Albert 1er 小屋の生活
最初に泊まったアルベルト・プルミエ小屋は、かなり人気のある小屋らしい。 100人以上収容できるとか。実際、この季節ならばハイカーでも全く問題なく行 ける(ただし、小屋から上は登山家の世界。ハイカーならば小屋に着いた後、小 屋周りの散策以外には、来た道を帰るしかないはず。)。登山リフトからの距離 は多少あるが、高度差はそれほどでもないので、アクセスも比較的容易だ。
ガイドたちにとっては来慣れた宿、という感じだった。結局、ずっと天気がよかっ たこともあり、暇な時間は外でおしゃべりなどして過ごした。つまり、宿の中で 過ごした時間は、食事の間と寝ている間だけだった。
人数が多いので、夕食は二交代制。僕らは第一陣、19時から。山小屋なのに、スー プ、メイン(この日はパスタ)、デザートのコースだったのには驚いた。グループ の僕らは、大皿から取り分ける。なかなか美味しかった。さすがフランス!
毛布は若干、肌にちくちくする感じ。ガイドのクリスは、シュラフ・インナーを 持ち込んでいて、これだけが贅沢品、と言っていた。小屋内は寒くはないので、 毛布無しでも何とかなるくらいの室内気温だったが。
朝食は、飲み物とパンと、ごく簡素(フランスですし……)。あっと言う間に平ら げて山へと旅立つのだった。
Requin 小屋の生活
ルカン(Requin)小屋が、今回の山行で僕が自分で予約他こなした唯一の小屋だっ た。2日前に電話予約する。
- 「Bonjour. Vous parlez anglais?」 (こんにちは。英語しゃべります?)
- 「Non.」
というわけで、仏語で悪戦苦闘する羽目になった。予約だけでなく、ルート状 況も聞く必要があって……。電話で仏語だけでこなしたのは初めてかも。度胸つ いたってものだ(苦笑)。山小屋なら大抵英語がOKだと思っていたのだが……(ア ルベルト・プルミエ小屋では、ずっと英語だった)、そうでもないようで。まぁ、 フランスですものね、仏語喋れない方が間違ってますわな。
この小屋はかなりマイナーなようで、今回の宿泊客は全員で10人ちょっとだった。
子供達を含めた女主人の家族らしき人々で賑やかだった。そして、僕ら二人以外、
全員、仏語で会話していた。見事なまでにフランス。虹が出ていると教えてくれ た女主人に、「仏語ではなんて言うんですか?
(※ )」と尋ねると、嬉しそうに教えてくれた。あはは。
※ arc-en-ciel (空の弧)
夕食は、18時半から。スープ、メイン、デザートと三コース。デザートは、2種類 から選べる。すばらしい!
そして朝食は、5時から。フランスらしく非常に簡素。
ところで、小屋の寝室には張り紙があった。
「あなたは自分をクライマーと思っているかも知れないし、アルプス登山家かも
知れない。でも、もしベッドを出るときに寝床の整理ひとつできないようなら、 単なる人間の屑だ!」
心しませう。
ヒッチハイク
シャモニーから空港への帰りは、安いシャトルバスの予約に失敗した(空席無し) 結果、シャモニー駅からの路線バスを利用することになった。便数が少ないので、 朝一番の便をつかまえる必要があって、そうすると、レ・ショザレからシャモニー (駅)まで行く朝一番のバスでは間に合わない。仕方なく、アルジェンティエール 駅まで歩いて、そこから列車をつかまえることにする。雨の中、ちょっと辛かっ たが。
ところが……、駅で待てど暮らせど来るはずの列車が来ない。確かに季節運行だ が、今はその季節のはずだが……、仏語の説明文を読み間違えたか。やむを得ず、 急遽、駅の外に出て、幹線道(と言っても田舎道)でヒッチハイクを試みる。雨の 中、大荷物持って…。20台ほど通りすぎたか、やっと一台、停まってくれた。 ふー。
この親切な人々は若いカップル。小さな車に僕の大荷物を押し込んでくれた。必 死の思いで仏語で話しかけるも実は二人は英国人、しかも何という偶然か、一人 (アマンダ)をシャモニー駅までジュネーブ空港行きのバスに乗るために送りに行 くという。僕と完全に目的地が同じではないか!
おかげさまでぎりぎりバスの発車時刻に間に合った。そして、旅は道連れ、バス の中でもアマンダの横に座って、話に興じたのだった。彼女、アウトドア・英語 教師として、この秋からスイスに移住するそうな。英国人のこういう身の軽さは 大したものだと感じます。
ちなみに、この日、ジュネーブ空港でも、時間は十分あったはずなのに、葉書な ど書いているうちに搭乗時刻になってしまって……、出国検問の時に「すいませ ん、すいません」と人を押し退けて先に行かせてもらうは、おまけに間が悪く、 手荷物を疑われるわ、パスポートまで疑われるわ、で大変だった。「○○便に御 搭乗のお客様は直ちに搭乗口へお越しください」の全館放送の中、係員(手荷物 を疑われたので)と一緒に、気を揉む搭乗受付の人の横を通って、飛行機の中に 駆け入ったのだった。
来るときは手荷物もパスポートも何も問題なかったのに、2週間伸ばしっぱなし にしていた不精髭が問題だったのかも……。最終日、剃刀を買うつもりが、目を つけていた美味しいクレープ屋で最後の一枚を、と言っているうちに時間が無く なってしまったからなぁ(笑)
仏語
今回、講習会にせよ、連れのドムにせよ、キャンプ場の友人にせよ、英語圏の人々 といる時間が長かったので、実質はほとんどの時間、英語で過ごしていた。だか ら、仏語を喋る機会は実はそうなかった。
とはいえ、ここはフランス、機会があれば仏語を使ってみたし、時には、仏語以 外通じなかった。キャンプ場の管理人とは基本的に仏語で会話(人にもよるが、 英語はかなり苦手だった模様)。バスの運ちゃん。山小屋の管理人。スーパーの 店員。駅員。タクシーの予約。他、もろもろ。
山道具屋の店員は、英語が問題ない人が少なくなかったのは幸いだった。細かい 話をするから……。ちなみにシャモニー最大の登山用品店 Snell Sports には、 日本人店員がいた(その筋では有名な方?)。 旅行インフォメーションでは、無論、英語で問題なかった。
あと、登山センターでも概ね通じた。実は、氷雪崩れの情報を登山センターの人 に尋ねた時、「こんにちは。英語しゃべります?」と仏語で切り出すと、「仏語 しゃべります?」と即座に切り返されてしまった。苦笑しながら、仏語で会話す る羽目になった僕……。しかし、それだけ専門的な話になると僕の仏語では厳し い。自然に、英語を織り混ぜるようになっていって、結局、最後は二人、英語で 会話していた。あんちゃん、英語しゃべれるやんけ。うーむ、さすがフランスだ (笑)。
L'Index に行くときの登山リフトは、二人乗りで、順番の関係で、僕はドムとで
はなく、前のグループの若い女性と乗り合わせた。
「こんにちは。英語しゃべります?」(仏語)「いえ、だめなんです。」
ならば、仏語で挑戦あるのみ! 10分間のリフトの間、会話を持たすことが できた。こんな機会がもっとあれば、仏語も上達するだろうにねぇ!
(笑)
荷物
今回、荷物の重量を減らすのが一苦労だった。なにしろ制限は 23kg! (僕なんて、 体重 100kg オーバーが珍しくない西洋人に比べたらずっと軽いのに、不公平だ!)。 持って行ったのは、80リットルザックと65リットルザック。預ける荷物は一つだ けだから、65リットルの方は、あちこちの紐を締めて、可能な限り小さくコンパ クトにして機内持ち込みとした。それと、大サイズのウェストポーチ。
ピッケル、クランポン、アイススクリューなどは機内持ち込みできないから、そ れは 80リットルに入れるとして、他の登攀用具は、65リットルの方に入れて機 内持ち込みにした。冬用登山靴はもちろん履いていく。ヤッケももちろん着てい く(さすがに暑いから、実際は、手に持って、ということになったが)。今回、ド ムがバスであとから合流するので、彼に、結構な用具類を運搬してもらった --- これなしでは、不可能だっただろう(英国国内の郵送料がばかにならなかったの だが…)。最後、出発前に体重計で計っては微調整……。出発前夜は用意に時間 がかかるあまり、夜が明けそうだった。
結果、行きは、80リットルザックは 25kg、お目こぼししてくれる範囲内でおさ まった。帰りは、さらに重い荷物をドムに預けた(アイスバイル 2本とか)のはい いが……、出発前夜から朝にかけて雨だったから、テントはじめリュックも含め て濡れて、随分重くなってしまった。飛行場のカウンターで計った時、なんとか 24kg に納まっていて、安心したものだった。
次に行くときは、重量制限のないバスで行きたい、と真剣に思ったのだった。 英国からだと 1週間に 1便しかないのが痛いが……。
登山技術議論編
安全紐
僕が最初に冬山を習った時、ピッケルは冬山では命、何があっても絶対に紛失し ないよう、安全紐をつけて、それを肩に懸ける、しかも、それは間違ってもピッ ケルを落とすことないよう、安全紐はザックを背負う前に肩に懸けるべし、と習っ た。
ところが、今回は、講習の最初に僕は、先生から、ピッケルの安全紐を外すよう、 指示された。あとで先生に伺うと、以下のようなコメントだった。
僕は、安全紐は大嫌いですね。ザイルに絡まるのがおちだから。大体、プロ で安全紐を使っている人なんていないでしょう?
無くす可能性がある? 僕のこのピッケルは20歳を超えてますよ。
クレバスに落ちたときに、ピッケルを手放す可能性がある? まぁ、そうかも 知れないけれど、僕の25年のキャリアの中で、クレバスに本気で落ちた人は、 一人しかいません。それくらい稀なケースと言っていいですからね。
今回、(夏の?)アルプスで感じたのは、万一、どうしても行き詰まったら、(ヘリ での)救助を呼べばいい、という感覚のような気がする。たとえば装備を極端に 削る、ということは、裏返しとして、万一遭難した時に自己救助が大変というこ とに他ならない。たとえば、一日分の水しか持たず、火も持たないのならば(先 生は、ビバークが最初から予定に入っていない限り、アルプスでストーブを持っ ていったことはない、とおっしゃっていた)、万一遭難した時、3日と持たない、 ということを意味する。
このピッケルの安全紐もその感覚の延長のような気が僕にはした。プロは安全紐 を使わない、そうなのかも知れない(ただ、少なくともダブルアックスの時、安 全紐を使う人はいた気がするが)。しかし、プロの場合(プロにも色々あるが、冒 険家ならば)、極論すれば、命懸けで未踏の領域に入ろうとするわけだから、ピッ ケルを落とさないことを前提にして、ルートに踏み込むことは大いにあり得る話 だと思う。一方、その他大勢の趣味の登山家にとっては、ピッケルをミスで落と したら高確率の死が待っている、というのではちょっとついていけない。
ザイルに絡まる恐れは確かになくはない。しかし、安全紐の扱いに習熟していれ ば、その危険性は無視できる水準に抑えられる、と僕は考える。安全紐とザイル とが絡み付く、というのは、結構素人的な状況ではないか? 気を遣う点が一点増 えるのは確かだが、習熟すればそれはほとんど無意識のうちに対応できるはずだ。
ただし、コンテを使う場合(そしてアルパイン・クライミングでは、コンテは必 須だ)、安全紐をザックの下にかけると、それはかなり扱いにくいと理解した。 安全紐を(ザイルの肩に懸けた)コイルの下に持ってくると、安全紐がよほど長く ない限り(当然それは避けたい!)、ピッケルの動きに著しい制限を受けてしまう し、かと言ってコイルの上に持ってくれば、今度はコイルを解くのが非常にやや こしくなる。
というわけで、現在の僕の結論は、以下の通りだ。如何だろうか?
- ピッケルの(肩掛け)安全紐は使う
- それはザックを背負った後、(ザイルの)コイルを巻いた後、最後に肩に懸 ける (コイルを解く場合は、まず安全紐を外してから作業する)
コンテ
コンテは、僕にはまだ最適な方法が掴めていない。氷河地帯ならば、単純だ。手 にコイルを持たず、ザイルを張って歩く。では、岩場ならば? 手のコイルはどう するのか? 今回の講習中では、ロックするよう教わったが……?
基本的に、手を積極的に使わなければいけない場所ならば、コイルは落として、 氷河歩行のような形で歩くことになるだろう。 一方、コイルを保持する時には、どんな時に、手のコイルを ロックさせるのがよくて、どんな時に、単に巻いているのがいいのか?
手に持っているコイルをロックさせると、反応速度と反応効率とは最大になり得 る。つまり、後続がバランスを崩した時、即座にそれに反応できるし、正確に反 応すれば、もっともよくコントロールできるだろう。それは確かに利点だ。しか し、これは諸刃の剣で、下からの衝撃がほぼ直接に来てしまう、という欠点にも なるのではないか? つまり、衝撃を流すことができないから、いざという時に、 自分のバランスがすぐ崩れる可能性がある。
一方、ロックが無ければ、すぐ反応すべき時にすぐ反応できない、つまり、意図 に反して衝撃を流してしまい、それが致命的になることがあり得ると推測できる。
現在の僕の結論は、流すことに意味がある場所、たとえば雪の斜面などならば 普通にコイルを巻いているのがよい、一方、即座に止めないと(つまり、流した ところで)止めようがない場所、たとえば岩の急斜面ならば、ロックさせておく のがよい、というところだ。ただ、まだ、正直、 明確な基準が持てずにいる。ご意見下さればありがたく(2006/03)。
氷河歩行
氷河歩行で危険と思われる地帯を歩くとき、人々の間のザイルの長さはどれくら いがいいのだろう? 講習中、そういった時、ザイルを短くしたことがあった。こ れは本当によかったのだろうか? 現在、それについて素朴な疑問がある。
クレバスに落ちた時、それを止めるのは、アンザイレンしている人(体、ピッケ ル、アイゼンなど)と雪(地面)との摩擦の他に、ザイルとの雪との摩擦がかなり 効く、と聞く。だからこそ、途中に結び目を作るのが効果的なのだから。
また、ザイルが長すぎるのは、よくない、と言われる。理論的には、落ちた時の 最大衝撃力は、ザイルが長ければ長いほど、少なくなるのではないか? つまり、 長いザイルの方が、止まりやすいのではないか? 一方、確かに、長すぎた場合、 前と後ろの間の間隔が開きすぎて、前行く人の踏み跡をうまく辿れなかったり、 長いザイルを張ったまま歩くのが困難だったり(ザイルを張っていないと、最初 の衝撃が来るまでの落下距離が長くなる、つまり止めるべき総運動エネルギーが 大きくなるから、これは問題だ)、確かに扱いに困る点はあるだろう。また、ザ イルが延びすぎると、落ちた人がその間にクレバスの底なりどこかなりに体をぶ つけて怪我する可能性が高くもなるだろう。だから、結論として、長所短所両方 を考えて、長すぎるザイル間隔が確かに問題なのは分かる。
しかし、普段氷河歩行で歩いているザイルの間隔を、危険地帯で「縮める」意味 はあるのだろうか? 危険地帯なら、むしろ、(ロープを張ることを強く意識する、 という前提の上で)長く取った方がいいくらいなのではないか?
という疑問を持っていたところ、ヤマケイの教科書には、危険地帯では長く すべし、というくだりがあった。僕の考えと一致する。
情報編
装備
夏のアルプス登山装備は、基本的に日本の春山(春の雪山)装備でいいのだが、 いくつか注意点はある。
- 必携用具
- クランポンの着雪防止プレート
- サングラス (冬山とは太陽光の強さが違う。 今回も雪盲があったように…。ゴーグルは暑すぎるかも知れない。た だし、悪天に備えて予備の軽量ゴーグルを持つのはいい考えのようだ。)
- アイス・スクリュー (氷河をはじめ氷だらけ。一人 1本は最低必要)
- アイス・スレッダー (Abarakov thread を作るための道具)
- ナッツいくつか (岩が入るならば。フレンズにも利点はあるが、まず 重く、そして氷が入ると途端に無力になるという欠点がある。)
- プルージック用スリング (2〜3本。氷河歩きでは常時必要)
- (登山用)ヘルメット
- ハーネス、(安全環付)カラビナ、スリング
- (多分)不必要なもの
- スコップ (雪面でフォーカスト・ビバークするなら、別かも)
- 雪崩ビーコン、ゾンデ棒 (雪崩はあり得なくはないが、ビーコンが活躍す るような面発生雪崩地点は多くない。氷雪崩なら、まともに巻き込まれた らどちらにせよ、一巻の終わり……。)
- ボルト (よほどの冒険行ならいざ知らず)
- その他の注意点
- 手袋をはじめ衣類は、天候さえよければ、耐寒性能はそれほど気にしなく ていい。むしろ、暑い時にどう対処するかを念頭においておきたい。 ただし、モンブランは他より高い分、寒くなり得る(-15℃とか)。
- ルートによっては、悪天時のルートファインディングが極端に難しくなる。 そういう場合は、GPSを携行したい。
- シャモニー近辺の山ならば、ほとんどの場所で携帯電話が通じる。当然、 非常時用の連絡先を事前に調べておくこと。
- ほとんどのルートは(小屋から小屋まで)通常一日、長くても二日で終える もののよう。可能な限り重量を減らして迅速行動するのが致命的に重要。
- ザックの容量は人によって言うことが異なるが……、ビバークなしなら、 40リットルあれば十分のようだ。25リットルで行動している人もいた。
- ストーブは、Prius 関係のものがメジャー。つまり、キャンピングガス系 ではない。
交通
シャモニーまで
最寄りの空港は、ジュネーブ空港@スイス(言うまでもなく、ガスボンベは飛行機 では運べないので、ご注意)。シャモニーまで車で 1時間強。2005年現在、空港 では、一応、ユーロは通用する。ただし、釣銭はスイスフランで返ってくるかも。 一方、シャモニーはフランスなので、原則ユーロ。スイスフランはそれなりに 通用しそうだが。
ジュネーブ空港からシャモニーまでは、4通りの交通機関を挙げておく。
- 私企業のシャトルバス・タクシー。乗合形式だとかなり安い。キャンプ場 やホテルまで直接送迎してくれるかも。一般に、事前の予約が必要。2005 年現在の最安は AlpiBus で、条件によるが片道 30ユーロ弱。他は、40 ユーロほどが標準。
- シャモニー駅とジュネーブ空港とを結ぶ路線バス。多分、最も安い。一日 ????便しかないのが問題だが。途中、いろいろ停まることもあって、時間 も余裕を見ておきたい。2005年夏現在、片道 ????ユーロ、往復 ????ユーロ。
- 空港でレンタカーを借りるのもメジャーな方法。
- ジュネーブ空港とシャモニー間の鉄道はかなり面倒。2回ほど乗り換える 必要があって、時間も相当かかる(2時間半?????)らしい。値段は悪くない ようだが。
シャモニーからリヨン(@仏)までは直通長距離バスが出ている。欧州各都市から の長距離バスもあるかも知れない。たとえばロンドンからの場合、リヨン乗換の バスが、1週間に 1便(!)ある (ロンドン発シャモニー着の場合、リヨン乗換が時 間的にかなりタイトで、僕の知る利用した二人は、いずれも乗換に間に合わず、 リヨンから鉄道でシャモニーまで来る羽目になっていた……その分の料金は払う 必要はないとは言え、数時間遅れた)。
空港からシャモニーまでの鉄道は億劫だが、フランスやスイスの別の場所からな ら、鉄道が最善の交通手段(のひとつ)になる場合は少なくないだろう。
シャモニー谷の中
キャンプ場などで、カード(Carte d'Hote)を発行してもらうことができる(ひょっ とすると、シャモニー町以外のキャンプ場でのみかも知れない)。これを携帯してい ると、シャモニー谷内部の交通(バスと鉄道)が原則、無料になる。鉄道ならば、 スイス国境手前の駅までは無料。
まず、谷に沿って、鉄道が走る。谷の内部なら 2ユーロくらい(シャモニーから アルジェンティエールの場合)。
ChamonixBus という公共バスが運行されている。1.5ユーロ。鉄道より、こまめ にバス停がある。シャモニー町内を出る前に町内の数ヵ所のバス停を循環する。
ChamonixBus には、夜間運行版もある。これには、Carte d'Hote は関係なく、 運賃を支払う必要がある。2ユーロ。アルジェンティエール行き鉄道の最終便は シャモニー発20時くらいだから、その後では、夜には最も安い交通手段。
タクシーは街中で見かけた記憶がない。もちろん電話で予約することはできる。 レ・ショザレからシャモニーまで朝の 5時半に予約した時は、15分の道に片道な んと 30ユーロ取られた(ジュネーブ空港まで行けそう!)。
登山電車、ロープウェイ、リフト
ロープウェイなどの切符は、往復で買った方が断然お得。路線によって、値段が 異なる。1日のうちに何度も使うなら別だが、そうでない限り、他に割引らしい 割引はないようだ。
いずれも、一日のうちの最初の便は登山客で込み合う。逆に言えば、登山する気 がないならば、最初の数便はパスした方がいいかも。エギーユ・デュ・ミディの 頂上駅では、一日中(?)乗る前に整理券を配っていた。
リフトは、3つの席のうちの真ん中の席をザックなどの荷物置き場として使うの が普通の様子。
地図、ガイド本
1/25000 地形図は、Chamonix では、「3630 OT CHAMONIX, MASSIF DU MONT BLANC」があれば、モンブランはじめ主要な山々はおおよそカバーされている。 防水ではなく、日本の国土地理院の地形図よりははるかに大きいので、折り方に 注意が必要。等高線の間隔は、仏側が 10m 間隔に対し、スイス側は 20m 間隔! 要注意だ。なお、上の地図では、モンブランは地図のほぼ 端に位置してしまう。周辺の地形まで見たければ、「3531 ET ST-GERVAIS-LES-BAINS MASSIF DU MONT BLANC」も入手しておいた 方がいいだろう。
一方、1/50000 地形図は、「A1 PAYS DU MONT-BLANC」(RANDO EDITIONS社)。 いずれも、登山用品店で入手可能だが、シャモニー村の本屋ならばさらに確実。
登攀のガイド本は、日本語では、 「アルプス4000m峰 登山ガイド」(リヒャルト・ゲーデゲ著, 島田荘平・島田洋子共訳, 山と渓谷社, ISBN: 4-635-17810-2, 1900円) が存在する(他にもありそう?)。英語ならば、 「easy ascents in the MONT-BLANC range」(F. BURNIER, D.POTARD共著, VAMOS社, ISBN: 2-910672-09-3) (約15ユーロ)が入門用として優れている(原版は仏語; Facile から PDまでのルート)。 さらに詳しいガイド本として、 「Mont Blanc Massif」(L. Griffin著, Alpine Club発行, ISBN: 0-900523-57-3(第1巻), 0-900523-58-1(第2巻)) の2巻セットが定番だ。英語(もちろん仏語も)のガイド本は、 シャモニーの山岳センターで無料で閲覧できる。有料でコピーも可能だったはず。 英語のガイド本は、シャモニー現地でも購入できるだろう(ただし、当然、仏語 ガイド本に比べるとずっと手に入りにくい)。
山歩き/ハイキングのガイド本は、日本語では、 「スイスアルプス・ハイキング案内」(小川清美著, 山と渓谷社, ISBN: 4-635-53605-X, 3786円) を見かけた。 英語では、 「Mont-Blanc Trails」(R. BOZON他著, C. BAXTER-JONES他(英)訳, SENTIERS DU MONT-BLANC社, ISBN: 2-910639-02-9) (夏のウォーキング、ハイキングのルート 175個; 地図つき)を見かけた。
その他
- Mer de Glace (の観光場所)は、大人一人 3.40ユーロ。
- エギーユ・デュ・ミディの最高点に行くのは、エレベーターで。有料。
タイム・テーブル
時刻 | 行動 | 高度(m) | 温度 (℃) |
歩数 (複歩) |
|
---|---|---|---|---|---|
計器 | 地図 | ||||
表注: 高度の表記で (s) は高度計をその高度にセット。 なお、高度計は、腕時計(Silva/Alta)を使用。温度の in/out は、それぞれ 室内(テント内)気温と外気温(省略時も)。歩数は、その前の項目からの歩数(複歩)。 |
|||||
2005/07/18 (Leicester → London → Genève → Chamonix → Argentière → 天場(Les Chosalets)) |
|||||
09:10 | 自宅発 | ||||
09:30 | Leicester駅発 | ||||
(以下、欧州(フランス)夏時間) | |||||
17:00 | Genève着 | ||||
17:30 | Genève発(バス) | ||||
19:15 | Chamonix着 | ||||
20:00 | Chamonix駅発(列車) | ||||
20:20 | Argentière駅着 | ||||
21:00 | Argentière駅発(歩き) | ||||
Les Chosalets | |||||
22:00 | 天幕設営終了 | ||||
22:30 | 就寝 | ||||
2005/07/19 (天場 → Chamonix (歩き) → 天場) |
|||||
07:00 | 起床 | ||||
07:30 | 18(in) | ||||
09:00 | 11(out) | ||||
Chamonixまで歩く | |||||
天場 | |||||
23:20 | 就寝 | ||||
2005/07/20 (天場 → Grands Montets駅 → 訓練 → Grands Montets北東陵 → Aiguille des Grands Montets → 天場) |
|||||
06:00 | 起床 | ||||
06:45 | 7 | ||||
10:30 | Grands Montets駅 | 2 | |||
12:00 | (駅近辺) | 5 | |||
北東陵へ | |||||
最低点 | 3120 | ||||
15:30 | Aig. Grands Montets山頂 | 3295 | 12 | ||
天場 | |||||
22:30 | 就寝 | ||||
2005/07/21 (天場 → Le Tour → Charamillon-Balme駅 → Refuge d'Albert 1er → クレバス救助訓練 → 小屋(泊)) |
|||||
04:10 | 10(out) 15(in) |
||||
06:45 | 起床 | ||||
Le Tour | |||||
10:30 | Charamillon-Balme駅 | 2200 | 17 | ||
11:10 | Les Esserins(点線手前) (20分休) |
2430 | |||
12:10 | Albert 1er小屋 | 2702(s) | |||
12:50 | (小屋) | 9 | |||
13:20 | クレバス救助訓練 | ||||
小屋 | 2702 | ||||
19:00 | 夕食 | ||||
2005/07/22 (小屋 → Aiguille du Tour → 小屋 → Charamillon-Balme駅 → Le Tour → 天場) |
|||||
04:10 | 起床 | ||||
04:50 | 小屋発 | 2702 | |||
05:20 | クランポン装着 | ||||
06:15 | 10分休 | 3104 | |||
06:50 | 稜線(Col du Tour) | 3274 | 3282 | ||
07:45 | Aig. Tour山頂 | 3524 | 3544 | ||
10:05 | クランポン外す | 2823 | |||
10:36 | 小屋着 | 2715 | 2702 | ||
10:50 | (小屋) | 18 | |||
13:15 | Le Tourロープウェイ駅 | 1514 | |||
21:45 | 就寝 | ||||
2005/07/23 (天場 → ドムを Chamonix で迎える → 天場) |
|||||
06:00 | 起床 | 10(in) | |||
06:30 | 5(out) | ||||
11:00 | 発(Chamonixへ) | ||||
12:30 | ドムのバス到着遅れ | ||||
18:00 | 天場 | ||||
22:00 | 就寝 | ||||
2005/07/24 (天場 → Grands Montets駅 → 天場) |
|||||
天場発 | |||||
Grands Montets駅 (訓練) |
|||||
Grands Montets駅 | |||||
天場 | |||||
2005/07/25 (天場 → Chamonix → Montenvers駅 → Mer de Glass → Refuge du Requin (泊)) |
|||||
06:00 | 起床 | 14(out) | |||
07:40 | 発(バス) | ||||
Chamonix | |||||
08:55 | le Montenvers駅 | 1908(s) | |||
09:00 | 発 | ||||
右折 | 200 | ||||
梯子 | 1853 | 170 | |||
09:22 | 最低点(Mer de Glace) (アンザイレン) |
1756 | |||
09:55 | 発 | ||||
10:45 | 大休止(まめの手当て) (Envers小屋への径見える) |
2560 | |||
11:25 | 発 | ||||
(Tacul氷河への分岐) | 約2100 | 1040 | |||
11:53 | 2081 | 355 | |||
12:55 | 2206 | 1520 | |||
小屋への道標 | 2222 | 222 | |||
13:05 | 小屋への登りの前 (10分休) |
2233 | |||
13:55 | Ref. du Requin | 2482 | 2516(s) | ||
(素晴らしい虹) | |||||
18:30 | 夕食 | ||||
20:45 | 就寝 | ||||
2005/07/26 (小屋 → Glacier du Géant → Aiguille du Midi → → Chamonix → 天場) |
|||||
05:30? | 朝食 | 2518 | 2516 | ||
06:15 | 小屋発 | ||||
06:25 | クランポン装着 (7分休) |
2521 | |||
(巨大クレバス領域; Abarakov懸垂下降 2回) | |||||
09:05 | Petit Rognon近辺 (15分休) |
2620 | |||
10:15 | (右に)方向転換 | 2911 | |||
10:50 | 10分休 | 3003 | |||
12:10 | 峠(Col du Gros Rognon近辺) (10分休) |
3360 | |||
13:15 | 三叉路(Cosmique小屋との) (15分休) |
3533 | |||
13:56 | Aiguille du Midi駅 | 3708 | |||
Chamonix | |||||
17:35 | 天場 | ||||
22:15 | 就寝 | ||||
2005/07/27 (天場 → Grands Montets駅 → 西稜線 → Petite Aiguille Verte → 北稜線懸垂下降 → Grands Montets駅 → 天場) |
|||||
05:45 | 起床 | 10 | |||
Grands Montets駅 | |||||
08:15 | 発 | ||||
09:55 | Petite Aig. Ver.山頂 (15分休) |
3490 | 3512 | ||
13:15 | Grands Montets駅前 | ||||
天場 | |||||
16:00 | (天場) | 28 | |||
21:00 | (天場) | 19 | |||
2005/07/28 (天場 → Chamonix → Aiguille du Midi ... Col du Midi ... Mont-Blanc du Tacul ... 往路帰る) |
|||||
04:45 | 起床 | ||||
05:30 | 発(タクシー) | ||||
Chamonix | |||||
06:15 | Chamonix発 | ||||
Aiguille du Midi駅 | |||||
07:10 | 発 | 3795(s) | |||
08:20 | 休(10分) | 3750 | 4 | ||
09:17 | M. Tacul西稜 | 4077 | |||
09:40 | M. Tacul岩場取付 | 4227 | -2 | ||
(10分休) | |||||
10:07 | M. Tacul山頂 (15分休) |
4245 | 4248 | 2 | |
西稜を少し降りた所(10分休) | |||||
11:50 | Col du Midi近辺 | 3560 | |||
13:01 | Aiguille du Midi駅 | 3783 | |||
Chamonix | |||||
15:00 | (Chamonix) | 30 | |||
天場 | |||||
2005/07/29 (天場 → Les Praz de Chamonix → L'Index駅 → L'Index → L'Index駅 → 天場) |
|||||
05:30 | 起床 | ||||
06:30 | 発 (車に拾われる) |
||||
07:05 | Les Praz de Chamonix駅 | 1062(s) | |||
08:15 | L'Index駅 | ||||
08:30 | L'Index南東稜取付 | 2431 | |||
08:45 | 登攀開始 | ||||
10:45 | L'Index登攀終了 | ||||
11:10 | 懸垂下降終了 | ||||
11:40 | Les Praz de Chamonix駅 (ヒッチハイク) |
||||
天場 | |||||
12:15 | (Chamonix駅) | 25 | |||
天場 | |||||
22:10 | 就寝 | ||||
2005/07/30 (天場 → Montroc → 天場 → Chamonix → 天場) |
|||||
08:30 | 起床 | ||||
10:30 | 発(山歩き) | ||||
12:10 | 天場 | ||||
13:25 | 天場発 | ||||
14:30 | ドムChamonix発 | ||||
天場 | |||||
22:50 | 就寝 | ||||
2005/07/31 (天場 → Les Bois → Montenvers → Chamonix → 天場) |
|||||
07:00 | 起床 | 10 | |||
08:43 | 発 | 15 | |||
09:25 | Les Bois | 1069(s) | 16 | ||
10:00 | Les Bois発 | ||||
10:25 | Chemin de la Filia分岐 | 1094 | 520 (赤線を入ってから) | ||
10:38 | 曲がり角 | 1231 | 1234 | 450 | |
10:43 | 曲がり角 (5分休) |
1425 | 1434(s) | 712 | |
11:00 | 四つ角 | 1467 | 12 | 150 | |
11:11 | 角 | 1537 | 475 | ||
11:21 | Les Rochers des Mottets | 1621 | 1638(s) | 270 | |
11:30 | 分岐(右へ行く) | 1720 | 340 | ||
11:49 | Télécabinと交叉 | 1868 | 600 | ||
11:55 | 駅からの分岐 | 1877 | 120 | ||
12:05 | 観望点 (10分休) |
1788 | 17 | 450 | |
12:40 | Montenvers駅 (5分休) |
1924 | 1913(s) | 17 | |
12:55 | Les Rochers des Mottets分岐 | 1841 | 370 | ||
13:10 | 登山列車線路横断 | 1701 | 730 | ||
13:20 | 分岐(家あり) | 1592 | 520 | ||
13:40 | 分岐 | 1361 | 930 | ||
13:45 | 登山列車線路横断 | 1288 | 1268 | 17 | 300 |
13:55 | Les Rochers des Mottets分岐 | 1187 | 232 | ||
14:05 | Luge d'Été入口 | 1086 | 23 | 440 | |
14:10 | 登山列車駅 (Chamoixぶらぶら) |
1071 | 250 | ||
15:45 | Chamoixバス停 | 23 | |||
天場 | |||||
22:45 | 就寝 | ||||
2005/08/01 (天場 → Vallorcine岩場 → Chamonix → 天場) |
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05:30 | 起床 | 11(in) | |||
06:00 | 5(out) | ||||
11:30 | 発 | 19 | |||
13:30 | Vallorcine岩場着 | ||||
17:30 | Vallorcine駅発 | 19 | |||
22:00 | 1236 | ||||
01:25 | 17(in) | ||||
2005/08/02 (Les Chosalets → Chamonix → Genève → Leicester) |
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05:00 | 起床 | 1248 | 16(in) | ||
06:45 | 発 | ||||
07:15 | Argentière駅 | 1264 | 13 | ||
Chamonix までヒッチハイク | |||||
10:00 | Genève空港 | ||||
(以下、英国夏時間) | |||||
London City空港 | |||||
17:15 | St. Pancras駅発 |
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まさ