目次
- 登攀とザイル
- フリークライミングとエイド
- 伝統登攀(トラッド)とスポーツクライミング
- スポーツクライミングの中間支点
- 伝統登攀の中間支点(基本)
- 英国伝統登攀とハーケン
- オンサイトの意味
- クライミングの難易度 (別ページ) (New!)
登攀とザイル
登攀とは手足を使って急角度の壁をよじ登ること。そして、 岩登りとは、文字通り岩、岩壁を登ること。だから端的にはどう登っ てもいいわけです。裏山の岩をひょいと登れば、それも岩登り。でも、 10m の岩を登っていてもし落ちたら運が良くても大怪我、100m の岩な ら、即死間違いありません。だから、ロープを使って、仮に落ちても 途中で止まるよう、最悪の事態は避けられるように登ります。
昔、ある漫画で、「単独初登頂」の時に、前から垂れているロープに 掴まって登る姿がありましたが……、そのロープ、どうやって張ったっ ちゅうねん、と思わず突っ込んでしまいました。当然、 「初登頂」ならば、自分の手が届く範囲より先にロープを張るのは不 可能です。
現実の岩登りでは、普通は、二人(以上)の組で登ります。最初に登る 人(リーダー)を、後から登る人が、ロープを使って下から確保します。 たとえば、登り初め(垂壁の真ん中を想像して下さい)から 5m 登って、 そこで落ちた場合、リーダーは、崖の下まで落ちる代わりに、確保者 との距離の 2倍、つまり 10m 落ちるだけで済む、という次第。
さて、登り初めが平坦な地面なら、これは、要するに 5m、地面まで 落下することと同じこと、つまりロープを使う意味はありません。 それに、どんな状況であれ、10m 落ちるのは落ちる人にとっても 確保する人にとっても、気持ちいいものとは言い難く……、 落下距離は少なければ少ないほどいいのもものの道理です。そこで、 リーダーは、登っていく最中、途中で「中間支点」を作って落下距離を 抑える努力をします。つまり、岸壁の途中で支点を作って、落ちても その支点の少し下までしか落ちないようにします。たとえば、下から 4m のところに中間支点を作った場合、そこから 1m (= 下から 5m) 登ったところで落ちても、落下距離は 2m に過ぎないわけです。
リーダーが上まで登りきったら、今度は、リーダーが上から、ロープ で次に登る人(セカンド)を確保します。これは、単純ですね。落ちて も、落下距離は最小限で済みますし、極論すれば、ロープを頼りにセ カンドを引き上げることも不可能ではありません。
この時に使う太いロープのことを、しばしば「ザイル」と言います。 ドイツ語の Seil です。
フリークライミングとエイド
登攀において、その昔は、「中間支点」には自然のものしか利用しま せんでした。たとえば木だったり、上向きに尖った岩角だったり。木 の幹に短い紐を回して輪っかを作り、その紐にザイルを通すことで、 どういう方向に落ちてもそこで止まるようになります。
そのうち、岩に楔を打ち込む、という手法が使われるようになりまし た。いわゆるハーケン(鉄釘)。一旦、楔を打ち込んだら、その楔は、 中間支点になるだけでなく、そこに手足をかけて登ることもできます。 加えて、その楔にあぶみ(一種の縄梯子)をかけることで、(比較的)容易 に登ることができるようになりました。こういう登攀方法をエイド・ クライミング(直訳すれば援助登攀; 多分、「人工登攀」という用語が より一般的)と言います。
エイド・クライミングは日本も含めて世界中で使われましたし、 ルートによっては今でもそうです。しかし、これだと、極論すれば、 どんな岩場でも誰でも登れます。 突き詰めれば梯子をたくさん持参して岩に固定していけばいいわけですから。 時間とお金と人数とさえあれば。
ということに疑問を持った人々が、 中間支点を作る(使う)のはいいとしても、それは万一落ちたときの保 険としてだけ使って、実際に登る補助には使わない、という「ルール」 を作りました。これがフリークライミングです。フリークライミング で、ある岩を登れるならば、それは実質的に、何も道具無しで登れる ことに等しい、というわけです。
「フリークライミング」 = 「危ないもの」と勘違いしている人を時 にみかけますが……、それは大いなる誤解です。通常、落ちたとき の保険として、ザイルで確保しながら登るわけですから。
伝統登攀(トラッド)とスポーツクライミング
上で、フリークライミングでは 中間支点を作っても それは落ちたときの保険としてのみ使う、と書きました。 では、中間支点をどうやって作るか、というのが、当然次の 疑問でしょう。実は、この中間支点の作り方によって、現代 (ロック)クライミングが二種類に大別されます。
まず、一つは、ある意味で昔ながらの方法、つまり、自然のもの(たとえば 岩場の中程に生えている木の幹)を利用したり、あるいは自分で 工夫するなりして、その場で作っていく方法です。これを 伝統登攀またはトラッド(trad(tional) climbing)と言います。 一方、最近は、支点を事前(=登る前)にあらかじめ作っておく場合があります。 これをスポーツ・クライミング(sport climbing)と言います。
今の日本のフリークライミングは、ほとんどスポーツ・クライミング だと思います。実際、フリークライミング用の岩場は、「ゲレンデ」と よく呼ばれます。「練習場」という響きですね。
どちらの方法を取るにせよ、 支点(プロテクション)というからには、その支点は、しっかりしてい る必要があります。人間の体重を 80kg として(←軽い人も重い人も いるでしょうが)、その支点から 10 メートルとか落ちた場合、瞬間 的には、支点への力は 10kN (約1000kg重)を超える可能性もあります。 つまり、支点は、理想的には 1トン(できれば 2トン)の力を支えるくらいの 強力なものが欲しいところです。
たかが中間支点、されど中間支点……。実際、中間支点の強度は、 大袈裟でなく、時に生死を決します。
スポーツクライミングの中間支点
以下では、スポーツクライミングにおいて、中間支点をどうやって作るか、 述べていきます。
スポーツ・クライミングでは、事前の「工事」が許されるので、 極論すれば、どんな大がかりな建設工事をしても構わないことに なります。たとえば、岩場のすぐ横に、(重機を使って)腰周りほどある 金属柱を建てるなり、足場を組むなりして、そこに支点を作っても、 倫理的に問題無いはずです。
一般的には、そこまで面倒なことはせずに(岩場まで重機を持ち込むのも 大変ですしね)、 ほとんどの場合は、あらかじめ金属ボルトを岩に打ち込んでおくことで、 支点としています。具体的に は、岩場の上から垂らしたロープで、上から懸垂下降などで降りてき て(実際に登る何日も前の話)、電動ハンドドリルで岩に穴を開け、そ こに金属ボルト(太い釘のようなもの)を打ち込み、強力接着剤(建築 用並の強度があるらしい)を流し込んで固定します。この支点は、 実質上、岩と同化しているのと同じことで、当然、恐ろしく 頑強な支点になります(強力接着剤を使わない方法もあります。支点強度 は弱いですが、設置は容易です)。
そして、登るときは、上からロープを垂らして登るのではなく、下か ら(金属ボルトを落ちたときの保険(=中間支点)として使いながら)登っていくのが 美しいスタイルだとされています。「美しい」と言えば、どちらでも いいように聞こえそうですが、現実は、フリークライミングの「ルー ル」では、上からロープを垂らして登ったのは、登ったことにならな い、とされています。
個人的には、上から垂らしたロープによるのも、電動ドリルで行われた 「工事」に頼っているのも、どっちでも同じだと感じますけどね。
伝統登攀の中間支点(基本)
伝統登攀(トラッド)では、中間支点の作り方はまさに状況次第、千変万化(言い過ぎ?)です。 端的には、強そうな支点であれば何でもよく、あるものを徹底的に利用し、 かつ一緒に持って登っているものを応用して使っていって、支点を 積極的に「作って」いきます。
伝統登攀の基本概念は簡単で、そのルートを、今まで誰も登っていない のと同じ状態で登ることにあります。初登攀体験を繰り返す、と言ってもいいです。 スポーツクライミングのルートの場合、岩場のあちこちに鈍い金属が 光っていて、先人の「工事」のあとを示していますし、登る人もそれを 頼りに登っていきます。一方、 伝統登攀のルートの場合、原則、岩場には人工物は一切ありません。 例えば、英国伝統登攀の代名詞とも言うべきスタニッジ・エッジには、 1000をゆうに超えるルートがありますが、一本のボルトも存在しません。
では、何が支点として使えるか? たとえば、スタニッジ・エッジの崖の上部には、何トンもありそうな 巨石(boulder)がごろごろ転がっています。これらは当然、人間が落ちる くらいの力ではびくともしないわけで、(強度と言う意味では)最高の支点 になります。具体的には、その巨石に長いロープを回して、支点とします。 スタニッジ・エッジのこの場合は、後続として登ってくる人を確保するための 確保支点であって、中間支点ではありませんが、感覚は掴んで頂けるかと 思います。もちろん、崖の中腹にそんな岩が都合良くあれば、それを 中間支点として使えばいいわけです。
また、しばしば崖の中腹に立派な太さの木が生えています。木の幹に短い ロープ(スリング(sling)またはシュリンゲ(Schlinge(独語)))などを巻き付けて 支点のできあがりです。木でなく石柱(spike)だと一層確実。 あるいは、岩に(両端の開いた)穴が開いていれば (特に石灰岩に多い)、その穴にスリングを通しても立派な支点です。 支点の強度は、その穴の「(岩の)柱」の強さに依存します。
岩場では、岩にいろいろな裂け目があることが珍しくありません。 時には、そんな裂け目に石や岩がはさまってしっかり固定されている 場合があります。その時、そんな石や岩にスリングを巻き付けると、 これも支点です。強度は、はさまった石や岩とはさまり方、そして はさみこむ岩の裂け目の強さに依存します。
現代伝統登攀では、この原理が使われることが最も 多いです。ただし、受動的に石や岩が都合良くはさまっている裂け目を 探し回るよりむしろ、あえてそういう状態を(一時的に)人為的に創り出します。 端的には、石をポケットに詰めていって、大きさのあった裂け目に、 石を入れ込んでやればいい、という原理です(あくまで原理。実際は そのために開発された金属物を使うのが普通です)。
なぜ、それが最も多いか? 理由は単純で、岩の裂け目ならかなり普遍的に 存在しますが、都合良く木が生えていたり、両端の開いた穴が岩に開いている とは限らないからです。現代伝統登攀では、この岩の裂け目の利用が、 ほとんど芸術の域にまで高められ、昔よりずっと安全な登攀が楽しめる ようになっています。
英国伝統登攀とハーケン
ピトン (ハーケン, 鉄釘)
登攀またはロッククライミングと言えば、多くの人の印象は、
「肩に食い込む重い荷物を担ぎ、玉のような汗を流しながら、 ハンマーでもってハーケンを岩に叩き込み、 細いザイル 1本を命綱にして、命を賭けて、垂壁を登る」
というところでしょうか(「ファイト〜!」「いっぱ〜つ!」なんて叫びながら? (笑))。 僕が実際に岩登りを始める前の印象はそんなものでした。
現実には、英国の伝統登攀(トラッド)では、上の表現のうち、正しいのは、(多くの場合) 「垂壁を登る」ところだけです。英国は涼しいから、そんなに汗はかきませんし。 重い荷物持って登るような不経済で自虐的(?)なことはしませんし。ザイルは 2本が標準ですし。英国の少年少女の何割かが岩登りの経験があるような現在、 まさかそんな年若い彼らが命を賭けて苦悶の表情で岩を登っているわけ ありませんし。
そして、ここでのテーマは、「ハンマーでもってハーケンを岩に叩き込み」です。 ここで、ハーケンとは、岩に打ち込む、釘のような金具のことです。 頭の部分に「目」があって、カラビナやロープを掛けられます。 ハーケン(Haken; 独語)の日本語訳は「鉄釘」でしょうか(新田次郎の本では そうありました)。仏語(英語)では「ピトン(piton)」、英語では「peg」と言います。
(注!) モチズキ社が出しているエクスパンジョン・ボルトは、 「ハーケン」という名称で売られています(した?)。これは「ボルト」であって、 「ピトン」とは異なります。以下では、混乱を避けるため、「ハーケン」という 用語を使わず、「ピトン」で統一します。
ピトンは、先の方が細く、根本に近付くにつれ太くなっている鉄釘です。 先が細いと言っても、鋭く尖っているわけでは全然ありませんし、 その必要もありません。だから、岩ならどこにでも打ち込める……ような 魔法の釘では無くて(一方、「ボルト」は、そうして使う物です)、 元々ある岩の割れ目(クラック)にハンマーで打ち込むものです。
使用法は(原理を説明するだけなら)いたって簡単です。ハンマーで丈夫そうな 岩の割れ目に向かって叩き込む、それだけです。根本の方が太いから、 (割れ目のサイズがそれなりの範囲内にあれば)どこかで止まって、固定される、 という原始的な原理です。そして、それが、登攀の中間支点として(あるいは 援助登攀の前進支点として)使われるわけです。
ピトンの問題点
このピトンの使用には、二、三、重大な問題点があります。 結果、現代の少なくともフリークライミングでは、 「ハンマーでもってハーケンを岩に叩き込み」 は最早過去の話になっています。
問題の第一は単純です。ピトンをハンマーで打ち込むのには、基本的に 両手とも自由に使える必要があります。垂直どころかオーバーハングも当たり前の 現代クライミングにて、登攀の真最中に両手とも使えるような贅沢な 状況はそう多くはありません。これが、ピトンの技術的欠点のひとつです。
技術的欠点だけなら、それでも使いたい人だけが使えばいい、ということに なりますが、実際は、ピトンには、さらに重大な問題があります。 ひとつには、一度(岩の裂け目に)打ち込んだピトンは回収されずに 残される(ことが少なくなかった)ということです。つまり、後から登る人は、最早、 最初に登る人と同じ条件で登るわけでは無くなります。結果、昔からある ようなルートなら、山のようなピトンが半永久的に残される、ということに なりかねません(後から登る人は、ルートに残された(残置)ピトンが信用できないと 思えば、自分で新しいピトンを打ち込みますから)。
現代の(特に米国で発達した)クリーン・エイドでは、原則として、打ち込んだ ピトンは、(同じパーティー内でリーダーの後に登る仲間が)回収します。 それでも、 特に有名なルートの場合、何百人もの人々が同じ岩の割れ目にピトンを打つこと に変わりはありません。つまり、次第に岩の割れ目が広がっていくことになります (それが顕著に見られる例は枚挙に暇がありません)。 言い換えれば、人が登るたび、ルートの形が徐々に変わっていくことになるのです。
保科雅則著「アルパインクライミング」(山と渓谷社)には、 ピトンの打ち過ぎですっかり原型と変わってしまった岩の写真があった ように記憶しています。「ピトンを打ち込む罪を感じる」という意味の コメントと共に。
こういったピトンの重大な問題点が 認識された結果、(ピトンよりも優れた方法の普及とあいまって)現代の 英国伝統登攀では、ピトンの使用はほぼ完全に禁止されています。
ピトンと登山倫理
ここでは、英国伝統登攀とピトンとの関わりについて解説します。
英国でも、かっては、ピトンはそれなりに使われたものでした。 しかし、ピトンの使用に対する嫌悪感は英国のクライマーには伝統的に
あったようです。たとえば、すでに20世紀の初め、ポール・プレウス(Paul Preuss;
1200ものルートを登った有名な登山家)は、ピトンは一切使用すべからず、 という原則を提唱、実行していました (参考:
http://www.bigwalls.net/climb/mechadv/)。
50年代の英雄ジョー・ブラウンが、自らに 1ピッチあたりのピトンの量に 制限を課していた(2本)ことも、よく知られている話です
(参考: http://www.needlesports.com/nutsmuseum/nutsstory.htm
http://www.joe-brown.com/component/option,com_docman/Itemid,117/task,doc_view/gid,1/
)。
つまり、好き放題打ち込んでいたわけではありません。現代では、 彼ら先達の姿勢は突き詰められ、実質上、 夏の伝統登攀の岩登りのルートにピトンを打ち込むのは「厳禁」となっています。 その行為は、石切り屋が岩を変形させるのと同じことで、ルート破壊と見なされます。 つまり、ピトンを打ち込めなければ登れないようなら、(リードで)登るな、ということです。
実際、現代伝統登攀では、ピトンより数段優れて、設置が速く、岩をほぼ全く 傷つけず、何も残さない中間支点の作り方が、色々発達しています(ほとんど芸術の域)。 ナチュラルプロテクション(natural protection)、またはしばしばナチュプロと略されるものです。 だから、ピトンでなくては困るような場合は、そうありません(と言えば、 言い過ぎ?)。
英国でのこの唯一の例外は、冬のルートです。冬には、岩の裂け目が雪や 氷で詰まっていることが少なくなく、ピトン以外に有力な支点作成法がないことが 往々にしてあるからです。そして、冬のルートは、一般に夏は登れないので、 冬期、それもそのルートを登るために出向く人にだけにしか見えない、 ということで、一応許容されている次第です(逆に言えば、夏も登れるルート なら、ピトンは使うべきではありません)。
結果、少なくとも英国では、半世紀前に打ち込まれたようなピトンを 見かける事が稀にあっても(そしてそういったピトンが「自己責任で」支点と して利用されることがあっても)、その数は減ることはあっても増えることは ありません。
個人的には、この英国伝統登攀の原則は、大いに気に入ってます。 こういった先達が磨いてきた「倫理」感(ethics)のおかげで、現代を生きる僕も、 「クラシック(伝統)」ルートを、初登攀の人が登ったのと同じ(ような)状況で、 (確保者以外の)誰の助けも借りずに、登ることができる次第です。 これは、クライミングの「進化」と僕は捉えるところです。
人工物の一切無い自然のままの岩を登ってみたい皆さん、一度、英国を 訪ねてみませんか?
オンサイトの意味
「オンサイト (onsight)」という言葉を聞いたことはありますか? フリークライミングの話ではよく登場します。例えば、世界的クライマーの 平山ユージ氏がどこそこのオンサイトにチャレンジした記録のテレビ番組が 放映されたこともある、と聞きます。尾瀬あきら作の漫画の題にも なっていますね。
登山の原点は、今までに誰も登ったことがない山を登ることにあり ましょう。もちろん、飛行機やヘリで頂上に着陸したのでは登った ことにはならなくて、やっぱり下から自分の足で登って初めて 「登山」と言えます。今までに誰も登ったことがないのだから、たとえ ばどこが危ないとかの情報も原則ありません。せいぜい、下から 双眼鏡で観察するくらいのもの。ましてや、たとえば槍穂の縦走路の ように、途中で鎖があったり梯子がかかっていたりもしません。
こういう登山の原点の流れをそのまま汲むのが、「オンサイト」で す。つまり、誰かがあつらえてくれた事前の準備(梯子とか)はなく、 それだけでなく事前の(例えばどこが危ないとか、何の道具が必要と か)情報も無く、あるルートを登ることを「オンサイト(onsight または on sight)」 と言います。今の時代、登るのは山頂である必要は全然なく、新し いルートでも十分ですし、あるいは誰かがすでに登ったルートであっ ても、登る人(またはパーティー)自身がそのルートについて全然知らず、 誰の助けも借りないなら、それは「オンサイト」と見なされます。 現実には、フリークライミングであるルートをオンサイトした、と 言った時には、もしポピュラーなルートなら、そのルートは今まで に何百、何千という人によって登られている、ということは珍しくありません。
実際には、フリークライミング、特にスポーツクライミングでは、 「オンサイト」の意味が異なってきています。 その解説はまたの機会に譲ります。ただ、 「オンサイト」の精神は上に述べたことにあるのには変わりありません。
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まさ